マレーシアより愛をこめて 第18回
ガスパールのマイレージ、マイライフ
働く場所と、住む場所と、
育てる場所
分身がいれば、三つは別々の国に置ける
前回、530万円のMacを「分身」と呼んだ。机の上に分身がいれば、会社のボトルネックだった経営者の頭の詰まりが抜け、できることの桁が一つ変わる。では、その机は、どこに置けばいいのか。答えは、意外とあっさりしている。どこでもいい。ただし、どこにでも住めるわけではない。
三つの場所は、いつも一緒だった
これまで、住む場所と、働く場所と、子どもを育てる場所は、たいてい同じ町にあった。会社に通える範囲で家を探し、学区で家を選ぶ。職住近接という言葉まである。三つの場所は三位一体で、一つの町に縛られていた。
中国の故事に、孟母三遷という言葉がある。孟子の母が、息子の教育のために、住む場所を三度変えた話だ。墓地の近くに住めば、息子は葬式ごっこばかりする。市場の近くに移れば、商売のまねばかりする。学校の近くに越して、ようやく勉強を始めた。教育移住の元祖である。ただ、孟母が引っ越したのは、同じ町の中だった。国ごと選べる今の親は、孟母より、少しだけ恵まれている。もし孟母がAIの分身を持っていたら、四度目の引っ越しは、国境を越えていたかもしれない。
もっとも、孟母が教えてくれるのは、引っ越しの回数ではない。場所が、子どもをつくるということだ。墓地の近くでは葬式を、市場の近くでは商売を、学校の近くでは勉強をまねた。子どもは、言われたことではなく、周りにあるものをまねる。住む場所を選ぶことは、子どもが何をまねて育つかを選ぶことでもある。
分身が、三つをほどいた
分身が机の上にいれば、働く場所は「どこでも」になる。仕事はネットワークの上で回り、細々とした用事は分身が引き受ける。すると、住む場所と子育ての場所を、好きな国で選べるようになる。三位一体が、ほどけるのだ。
芭蕉は『奥の細道』の冒頭で、月日は百代の過客、つまり永遠の旅人だと書いた。この一節は、李白の「光陰は百代の過客なり」を下敷きにしている。芭蕉はさらに、日々旅にして旅を栖とす、と続ける。旅を住まいにする人。三百年以上前に、芭蕉はもう、住む場所と働く場所を分けていたのだ。もっとも、芭蕉の分身は、弟子の曾良だったが。
分身と一緒に、国境を越える
国境をまたいで働くとき、手元で動く強力なAIは、思っている以上に頼りになる。
まず、ネットが無くても働ける。分身はクラウドの向こうではなく、カバンの中のMacBook Proに住んでいる。7時間半のフライトも、電波の弱いホテルも、そのまま仕事場になる。昔、機内は映画を観る場所だった。今は、分身と打ち合わせをする場所である。機内食のメニューだけは、分身より先に確認するが。
次に、機密を連れて歩ける。日本の取引先の資料を、外国のサーバーに預けずに、手元だけで読み、まとめ、下書きを書ける。国境を越えても、データは国境を越えない。もちろん、法律の上の守秘義務は、どこにいても消えないが。
そして、言葉の壁が低くなる。日本語の契約書を英語で要約し、中国語のメールに日本語で目を通し、マレー語の役所の書類の意味を確かめる。誰の母国語でもない英語の国で、分身は、誰の母国語でも読む。
さらに、時差を味方にできる。私が寝ているあいだに、分身は昨日の資料を整理し、朝いちばんの返信の下書きを用意しておく。時差1時間の東京とクアラルンプールのあいだで、仕事は、ほとんど眠らずに流れていく。
最後に、外の事情に振り回されにくい。クラウドのAIは、規制や障害や料金の変更で、ある日突然使えなくなることがある。手元の分身は、少なくとも電源とバッテリーがある限り、黙って働き続ける。ただし、分身ごと税関を通るので、ディスクの暗号化だけは忘れずに。入国審査で、分身の中身まで説明する羽目になるのは、ご免こうむりたい。
なぜ、マレーシアなのか
三つをほどいたとして、どこに住むか。日本人の答えは、長いあいだ決まっていた。ロングステイ財団の「ロングステイ希望国・地域」の調査で、マレーシアは2006年から2024年まで18年連続で1位、2025年も1位。そして財団のほうが、2026年3月に幕を閉じてしまった。ランキングが、1位を残して先に引退したのである。
理由は、いくつもある。
まず、日本との時差が1時間しかない。東京の朝9時は、クアラルンプールの朝8時。会議の時間を合わせるのに、誰も早起きも夜更かしもしなくていい。分身は寝ないが、人間は寝る。時差1時間は、人間のための福利厚生である。
次に、英語が通じる。第16回で書いたとおり、誰の母国語でもない英語が、みんなの共通語になっている国だ。
次に、大きな自然災害が少ない。地震も台風も、ほとんど無い。雨季の洪水はあるが、少なくとも、夜中に揺れで飛び起きることはない。地震の国から来た身には、それだけで、ずいぶん眠りが深くなる。
医療の水準も高い。クアラルンプールの私立病院には、海外から治療を受けに来る人も多い。治安も、アジアの中では比較的よいほうだ。ひったくりには、気をつけるとしても。
食べ物は、民族の数だけある。マレー料理、中華、インド料理に、アジアの食材はほとんど揃い、日本の食材も手に入る。私のように寿司に興味の無い人間でも、毎日の昼ごはんに迷う。迷えるのは、幸せなことだ。
そして、日本に好意的な人が多い。1980年代の初め、マハティール首相は「日本に学べ」というルックイースト政策を掲げ、大勢の若者を日本へ送り出した。その世代が、今、社会の中心にいる。日本人だと名乗ると、少しだけ得をする国である。
ほかにも、一年中夏なので冬服が要らない。インターナショナルスクールの数が多く、学校を選べる。日本への直行便も、毎日飛んでいる。
そして、国外で稼ぐ人にとっては、税の扱いも気になるところだ。マレーシアの居住者が国外で得た所得は、元の国で課税済みであれば、2036年までマレーシアでは非課税とされている。
マレーシアの、困ったところ
もちろん、いいことばかりではない。まず、アジアの中では、日本から少し遠い。台湾や韓国なら数時間のところ、クアラルンプールまでは7時間ほどかかる。週末だけ日本に帰る、とはいかない。
ただ、グラフにしてみると、面白いことに気づく。遠さのわりに、時差がほとんど無い。7時間半飛んで、時計の針は1時間しか戻らない。体は遠くへ行くが、仕事の時間はほとんど東京のままだ。
イスラム教の国なので、暮らしの決まりごとも違う。お酒は税金が高く、どこでも飲めるわけではない。お酒好きは、家計簿を見て青ざめることになる。私は飲まないので、ここだけは高みの見物だ。豚肉も、ハラルの店や売り場には置いていない。華人の店や、スーパーの専用の売り場で買うことになる。
それに、暑い。一年中、暑い。乾季には、近隣国の野焼きの煙が流れてきて、ヘイズで空が白くかすむこともある。冬服は要らないが、日傘は要る。
それでも、国境はついてくる
とはいえ、働く場所がどこでもよくなっても、国境は消えない。
まず、ビザだ。正直に書くと、マレーシアに住みたくても、住めない人のほうがずっと多い。数字にも出ている。行きたい国は18年連続で1位なのに、実際に住んでいる日本人は、2020年の約3万1,000人をピークに、2024年には約2万人まで減った。コロナ禍の影響もあるが、行きたい国の1位と、住めている国の1位は、別の話なのだ。
ビザの種類は多いが、どれも簡単ではない。
長期滞在のMM2Hは、5年のシルバーでも15万ドル、20年のプラチナなら100万ドルの定期預金が要り、そのうえ働いたり事業をしたりできるのはプラチナだけだ。20年住めて働くこともできるPVIP(プレミアム・ビザ)は、国外からの月収4万リンギット以上と、100万リンギットの定期預金に加えて、本人20万リンギット、家族は一人10万リンギットの参加費がかかる。夫婦と子ども二人なら50万リンギット、約1,900万円だ。定期預金は自分のお金のまま残るが、参加費は戻ってこない。払った瞬間に、サンクコストになる。経営者なら誰でも知っている、いちばん痛い種類のお金である。起業家向けにMDEC(マレーシア・デジタル経済公社)が運営するMTEPは、IT分野の起業家に限られ、実績のない新規の起業家は1年ごとの更新だ。デジタルノマド向けのDE Rantauは、比較的取りやすい代わりに、基本は最長2年ほどで、腰を据えて暮らすには心もとない。どの扉にも、それぞれ重い鍵がかかっている。しかも鍵は、たいてい銀行の金庫の中にある。
子どもの学生ビザに付く保護者向けのビザも、第15回で書いたころから少し動いて、両親二人に出る仕組みができた。ただ、対応する学校はまだ少ない。しかも、二人目の保護者のビザが下りるまでの時間があまりに長く、待つあいだのストレスで参ってしまう親もいる。ビザの話は、また別の回でじっくり書きたい。
運よく住めたとしても、税金は、どこに住んでいるとみなされるかで変わる。会社も、経営者がどこで仕事をしているかで、どこの国の会社とみなされるかが揺れる。日本とマレーシアの両方の専門家に、早めに相談したほうがいい。ここだけは、分身に任せきりにしないほうがいい。
そして子どもは、国境より学校の暦に縛られる。第14回で書いたとおり、マレーシアの学校は、祭りのたびに休みが延びる。親の分身は時差を越えられても、学校の休みは越えられない。
私の場合
私自身、ふだんはマレーシアかシンガポールに居て、日本には1か月半に1回ほど戻る。住むのはマレーシア、子どもの学校もマレーシア、会社の本社は東京の銀座、そして仕事は世界のあちこち。三つの場所どころか、四つに分かれている。
自虐を言えば、私がいちばん長く過ごしている場所は、家でも会社でもなく、飛行機の座席かもしれない。少なくとも、よく乗る便の便名と、空港の3文字のコードは、自宅の郵便番号より先に覚えた。KUL、SIN、HND。もはや呪文である。
室生犀星は、ふるさとは遠きにありて思ふもの、と詠んだ。マレーシアに住むと、日本はまさにその距離にある。不思議なもので、離れてみると、日本のよさも、日本の窮屈さも、前よりよく見える。三つの場所を分けることは、自分の国を、少し離れて眺めるための距離を手に入れることでもあるのだろう。
商売の目で見ると
ここから学べることを三つ挙げておく。一つ目は、住む場所を選ぶ前に、働き方を選ぶこと。分身と仲間で仕事が回る形を、先に作っておく。二つ目は、国境の三点セット、つまりビザと税金と会社の所在を、引っ越す前に確かめること。後からでは、分身でも直せない。三つ目は、子どもの学校の暦を、会社の暦より上に置くこと。家族の一年を決めるのは、結局、学校の休みである。
ガスパールのマイレージ、マイライフ
映画『マイレージ、マイライフ』で、ジョージ・クルーニー演じるライアンは、1年の大半を移動に費やし、空港とホテルを家にしている。彼の持ちネタは、講演でこう問いかけることだ。「あなたのリュックサックには、何が入っていますか」。家も、家具も、人間関係も、重いものは全部下ろせ、と彼は言う。そして映画の終わり、身軽になったはずのライアンは、空港の出発案内の前で、どこへ行けばいいのか分からないまま立ち尽くす。荷物をすべて下ろした人には、帰る場所も残っていなかったのだ。
分身を持った経営者は、その逆ができる。リュックサックに入れるのは、13インチのMacBook Air1台でいい。仕事の重さは、机の上の分身が背負ってくれる。だから、家族という一番重いものを、下ろさずに済む。
芭蕉は旅を栖とした。ライアンは空港を家にした。私は、分身を机に置いて、家族の住む国に帰る。行き先が決まっている旅は、旅ではなく、帰り道である。マイレージは、貯めるためではなく、家族のもとへ帰るためにあるのだ。