マレーシアより愛をこめて 第10回
ガスパール ボルネオで三角形とたたかう
ボルネオ島で、最強の海苔で
おにぎりを握る
ビントゥルのおにぎりパーティーと、日本の海苔
東マレーシア、サラワク州のビントゥルに来ている。目的は、おにぎりだ。地元で語学と教育の教室を開くAKITO Global Educationが主催する「おにぎりパーティー」に、参加させて頂いた。海苔を提供して下さったのは、三重県桑名市の福井と、グループ会社のブランド「のりもも」。日本の海苔にマレーシアの具を包む、日曜の昼の会である。
国内線なのに、入国審査
ビントゥルは、ボルネオ島の北西岸にある街だ。クアラルンプールからは飛行機で2時間ほど。同じマレーシアなのに、海を越える。しかもサラワク州は、州として独自の出入国管理を持っているので、国内線で降りても入国審査がある。外国人の私は、国内移動でもパスポートが手放せない。マレーシアの中に、もう一つ国境があるようなものだ。おにぎりの具より先に、まずパスポートを忘れないことが肝心である。
街の名前を知っている日本人は、たぶんエネルギー業界の人くらいだろう。ビントゥルは、世界最大級のLNG(液化天然ガス)の生産拠点だ。1983年1月29日、LNG船「テナガ・サトゥ」がここを出港し、東京湾の袖ヶ浦へ向かった。マレーシア初のLNG輸出で、買い手は東京電力と東京ガスである。以来40年以上、日本の台所や発電所の火の一部は、ビントゥルから届いている。
つまり日本は、ビントゥルに40年分の借りがある。その街に、今度は日本の海苔が届く。40年分の借りが返せるわけではないが、利息の最初の一回分としては、悪くない贈り物だと思う。
海苔は、三重から
今回のおにぎり海苔は、三重県桑名市の福井と、グループ会社ののりももからの提供だ。のりももの海苔は、太巻き用、手巻き用、細巻き用、おにぎり用、刻み海苔と、用途ごとに分かれている。日本では当たり前でも、海苔を「使い分ける」という発想そのものが、マレーシアの人にはきっと新鮮に映る。
チラシのコピーは「Japanese Nori × Malaysian Flavours」。日本の海苔に、マレーシアの味を包む。お米と海苔は会場が用意し、具材は参加者が持ち寄る。ハラル食材を使うと明記されていて、宗教の違う家族が、同じテーブルでおにぎりを握れる配慮がされている。参加費はRM15、AKITOの生徒はRM10。日曜の昼の授業料としては、実に良心的である。
前半は、海苔の授業
いきなり握るのではなく、前半は海苔について学ぶ時間だった。海がどうやって海苔を育てるのか、どうやって一枚の海苔になるのか。そして、海苔にどんな栄養があるのか。お腹を空かせた子どもたちにとっては、なかなかの忍耐の時間である。
スライドによれば、焼き海苔3グラムに、たんぱく質がおよそ1.2グラム。そのほか食物繊維、葉酸やビタミンC、ヨウ素や鉄といったミネラルも含まれている。黒くて薄い一枚に、これだけ詰まっているのだ。
そして、マレーシアでの食べ方の提案。海苔の使い方は、大きく二つに整理されていた。「包む」と「散らす」である。おにぎりや手巻きは包み、ご飯や麺やスープには散らす。さらに卵焼きに巻く、トーストにのせる、という家庭向けの提案も続いた。海苔を、ご飯のお供から、毎日の台所の食材へ。
海苔のトーストも紹介された。バターを塗ったトーストに、海苔をのせるだけ。考えてみれば、マレーシアはカヤトーストの国だ。朝のトーストに一枚足すくらいなら、案外すんなり定着するかもしれない。
後半は、具材の多国籍軍
さて、いよいよ握る時間だ。テーブルには、各家庭が持ち寄った具材が並ぶ。ツナ缶、きゅうり、卵焼き、ソーセージ、甘辛く煮た肉。まさに具材の多国籍軍である。中でもツナ缶の登場率は群を抜いていて、マレーシアの家庭のツナ缶備蓄は、どうやらなかなかのものらしい。
ここで気づいたことがある。卵、きゅうり、魚。具材の顔ぶれは、ナシレマの面々にかなり近い。そもそも、ご飯を包んで持ち運ぶ文化は、この国にもある。朝の屋台で渡される、バナナの葉と紙で包んだナシレマの包み、ナシ・ブンクスだ。包む素材が海苔かバナナの葉かの違いで、ご飯を持ち運べる形にするという発想は同じである。おにぎりが受け入れられる素地は、案外もう出来ている。
おにぎりの三角形は、見た目より難しい。力を入れすぎれば固くなり、弱すぎれば崩れる。人を育てるのと、だいたい同じである。そこで登場したのが、浴衣の先生である。手のひらの形を見せながらテーブルを回り、おかげで会場のあちこちに、三角形らしきものが少しずつ増えていった。
出来上がった形には、握った人の個性が良く出る。三角形、俵形、円盤、そして名状しがたい何か。ご飯粒だらけの手の中で、子どもたち一人ひとりの、独自の幾何学が育っていった。
子どもたちは、とにかく自分で選んで、自分で握りたい。具を決めるのも、海苔を巻くのも、自分の手で。そして出来上がった瞬間、迷わずかぶりつく。カメラを構える暇も無い。
具が無くても、美味しい
会場には、東マレーシアらしく、さまざまな民族、さまざまな宗教の方たちが集まっていた。食べ物の決まりは、家庭ごとに違う。それでも、海藻とご飯と塩なら、だいたい誰の決まりにも引っかからない。日本の海苔は、こういう場所で強い。
「すごく美味しい。こんな海苔は初めて」という声も頂いた。作り手にとって、「初めて」ほどうれしい褒め言葉は無いと思う。
韓国のりを持ってきたご家族もいらっしゃった。ごま油と塩をまとった韓国のりと、何もまとわない日本の海苔。同じ海の生まれでも、育ちはずいぶん違う。どちらが上という話ではなく、違いを知っていただく、良い機会になった。
一番驚いていたのは、子どもたちだ。袋から開けたばかりの、香り高く、パリパリとした海苔。炊きたてのご飯に、沖縄の自然で育まれたシーソルトだけ。具は無し。ツナも、ソーセージも、甘辛い肉も、出番無し。それを頬張ったマレーシアの子どもたちが、目を丸くした。具が無くても、美味しい!
具材の多国籍軍を集めておいて何だが、この日の最優秀選手は、海苔とご飯と塩の三人組だったのかもしれない。多国籍軍は、ベンチから拍手である。
商売の目で見ると
職業柄、少しだけ商売の話をしたい。まず、マレーシアにおける海苔の立ち位置から。この国で海苔と言えば、まず思い浮かぶのは韓国のりだろう。袋から出してそのまま食べる、スナックとしての海苔である。ご飯を包む海苔、料理に使う海苔となると、まだ知られていない使い方が沢山ある。
その韓国のりの勢いは、数字にもはっきり出ている。韓国の海苔の輸出額は、2025年に約11億3,000万ドル。初めて10億ドルの大台を超えた。海苔は今や、立派な輸出産業である。
では、世界の海苔はどこで作られているのか。養殖の生産量で見ると、2023年は中国が約7割、韓国が約2割、日本は1割に満たない。日本の生産量は、かつてのピークの48万トンから、約20万トンまで減っている。
ただし、これはあくまで重さの話だ。金額で見ると、話はまったく変わる。中国の海苔は、大きく二つの系統に分かれる。江蘇省などで育つ、日本や韓国の板海苔と同じ系統の品種と、福建省などで育つ、紫菜(ズーツァイ)と呼ばれる品種だ。後者は、中華のスープの具としてなじみ深い。2018年のデータでは、福建省の紫菜だけで、中国全体の約37%を占めた。同じ海苔でも、板海苔とスープの具では、用途も品質も値段も違う。同じ1トンでも、値札が違うのだ。
輸出額で見れば、主役は韓国である。先のグラフのとおり、年間10億ドルを超えて独走している。一方の日本の海苔は、量では小さくても、一枚一枚の品質と、太巻き用、手巻き用、おにぎり用と用途ごとに使い分ける細やかさで勝負している。量の中国、輸出の韓国、品質の日本。円グラフの大きさだけを見て、日本の海苔を小さいと思うのは早計である。
追い風は吹いている。いまマレーシアには、日本食の波が来ている。何度目のブームなのかは、もう誰にも分からない。モールを歩けば、日本語ののれんに当たらない日は無いくらいだ。
農林水産省の調査では、海外の日本食レストランは2025年に約18.1万店。中国の落ち込みで、調査開始以来初めて減った。ところがマレーシアは、約1,890店から約2,200店へと、2年で16%増えている。アジア全体が減るなかでの増加だ。
ただし、この数字は「日本食レストランとして紹介されている店」の数で、経営者が日本人かどうかも、味が本格かどうかも問わない。日本食の看板が増えたことと、日本の味が伝わったことは、必ずしも同じではない。
そして、浮かれてばかりもいられない。この国では、日本の大小の飲食チェーンが、これまで何度も辛酸をなめてきた。日本で行列の出来る店が、マレーシアでは閑古鳥、という話は珍しくない。分かれ目は、ローカライズの具合だ。日本の味を守りすぎれば地元の舌に合わず、崩しすぎれば日本である意味が無い。第6回のUSピザが追いチリで地元の舌に全振りしたのとは、ちょうど反対側の難しさである。
その点で、おにぎりは面白い食べ物だと思う。三角に握って海苔で包む、という「器」は日本のままで、中身はツナでも、卵焼きでも、ナシレマの具でもいい。器は日本、中身は現地。日本企業はつい、器だけでなく中身まで輸出したがる。辛酸の多くは、たぶんそこから始まっている。
もう一つ、東マレーシアは面白い。マレーシア全体ではムスリムが人口の6割強を占めるが、サラワク州ではキリスト教徒が約半数で、ムスリムは3分の1ほどだ。飲食の世界でも、西マレーシアのような厳格なハラル認証でなくとも、豚を使わない「ハラルフレンドリー」で通ってしまう場面が多い。日本の食べ物を持ち込むハードルは、西よりずっと低いと言えるだろう。ただし、調理器具や工程を通じたハラムの混入をどこまで気にするのか、その線引きは土地や客層によって違う。進出を考えるなら、ここは必ず調べてからにしたい。
そういう食材を広めるのに、一番効くのは広告ではなく、体験だと思う。自分の手で握り、自分の好きな具を包み、家族と一緒に食べる。ナシレマの具を日本の海苔で包むことを、主催者自らが勧めている。日本の食べ方を教え込むのではなく、マレーシアの食卓に日本の海苔の居場所を作る。この順番が正しい。
第3回で、日本文化を「押しつけではなく、一つの選択肢として手渡したい」と書いた。ビントゥルの教室で見たのは、まさにその手渡し方のお手本だった。
三角形は、国境を越える
日本から届いた海苔が、ボルネオの子どもたちの手の中で、少しいびつな三角形になっていく。中身はツナだったり、卵焼きだったり、甘辛い肉だったり。形も味も家庭ごとに違うが、それでいい。おにぎりは、もともとそういう食べ物だ。
ビントゥルから日本へは、40年前から火が届いている。日本からビントゥルへは、今日、海苔が届いた。どちらも、誰かの食卓を温めるものだ。
主催のAKITO Global Educationの皆さん、そして海苔を届けて下さった福井とのりももの皆さんに、この場を借りて感謝したい。次は、ナシレマおにぎりの品評会でも開いてもらえないものだろうか。審査員なら、喜んで引き受ける。ただし、判定は甘くなる。