マレーシアより愛をこめて 第3回
ガスパール、明日も引っ越さない
変化が好きな男が、
マレーシアに落ち着いた理由
そして、なぜGamuda Coveなのか
第1回で「このあたりの話は、話しだすと長くなるので、いずれ別の回で」と書いた。予告編を出したまま2回も寝かせてしまったので、さすがにそろそろ本編である。なぜマレーシアを拠点にしたのか。そして、なぜGamuda Coveなのか。
ぶっちゃけ、変化が好き
最初にぶっちゃけておくと、私は変化が好きだ。ひとつの会社を28年経営してきた男が何を言うか、と思われるかもしれない。ただ、会社は変えなくても、住む国はわりと変えてきた。
振り返ると、私の足あとは中華圏に集中している。北京と上海でビジネスをし、深センではガジェットを買いあさり、シンガポールに住んで、いまはクアラルンプール。文化も料理も、とにかく好きなのだ。国と国の関係は、ニュースを見るかぎり、いまあまり良好とは言えないようだ。ただ、私と小籠包の二国間関係は、過去最高を更新し続けている。
2012年にシンガポールへ渡り、気づけば10年。シンガポールは本当によく出来た街だ。清潔で、安全で、何もかもが時間どおりに動く。いまも大切な友人が沢山居る、大好きな街である。ただ、変化好きの体質というのは厄介なもので、10年も同じ街に居ると、体が勝手に次の景色を探しはじめる。
そこに追い打ちをかけたのが、コストだった。レストランの会計やホテル代を見るたびに、コーヒーより先に請求書で目が覚めるようになった。10年暮らしたシンガポールを、そろそろ卒業する時期だと感じていた。
決め手は、長女の小学校
2022年、長女が5歳で小学校に上がるタイミングを迎えた。私も妻も英国の大学院の修士号を持っていて、子どもにも英国式の教育を、というのは夫婦の間で早くから決まっていた。クアラルンプール周辺には英国式のインターナショナルスクールがいくつもあり、選ぶのに困らない。
実はコロナの間の3〜4年は、日本で過ごしていた。東京では港区のタワーマンションに住み、都会の暮らしも一通り味わって、やりきった感があった。だから、日本で子育てをするという選択肢は、正直あまり考えなかった。変化好きとしては、同じエレベーターに乗り続ける理由が見つからなかったのだ。
住むのはここ、働くのはあちら
ここで種明かしをすると、私の暮らしは3つに分かれている。住むのと、子どもが学ぶのはマレーシア。働くのは、シンガポールと東京だ。
住む、学ぶ、働く。この3つを一つの街でそろえなければいけない決まりは、実は無い。分けてしまえば、それぞれの街のいいところだけを使える。ちょっとずるい暮らし方である。
もちろん、そのためには仕事を選べる立場に居る必要がある。正直に言えば、ここがいちばん難しいところで、魔法の杖は無い。
時差も味方だ。シンガポールとマレーシアの時差はゼロ、東京とも1時間。仕事の会議で、時差に悩まされることはまず無い。早朝に起きて、寝ぼけた声で商談に臨む必要もない。これは本当に助かる。
日本の両親と子どもたちのビデオ通話も、時差を気にせずつなげる。おじいちゃんとおばあちゃんが、孫の顔を見るために夜ふかしをする必要は無い。
それから、日本の両親もすっかり高齢になった。何かあったときに、すぐ帰れることは欠かせない。クアラルンプールから東京へは直行便があり、映画を2本見て、機内食を食べて、少しうとうとすれば到着である。
マレーシアの、のびのびした時間
暮らしてみて分かったマレーシアの良さは、まず時間の流れだ。シンガポールより、ひとまわりゆっくりしている。その中で、子どもは驚くほど自分のペースで育っていく。親がせかさなくても、街がせかさない。これは大きい。
次に、人種と宗教が混ざり合っていること。カレンダーには、ハリラヤも、旧正月も、ディーパバリも、クリスマスも並んでいる。子どもは祝日の数だけ、世界の広さを知る。ついでに、休みの多さも知る。
中華系の人も多いマレーシアは、中華圏好きにとって居心地のいい国でもある。街では広東語が飛び交い、車を少し走らせれば、肉骨茶(バクテー)の本場、クランだ。小籠包との関係に加えて、肉骨茶との関係も、順調に深まっている。
そして、近隣の国へのアクセス。空港が近いので、週末にふらりと隣の国へ出かけられる。変化好きにとって、これ以上の常備薬は無い。
マレーシアに来て驚いたことは、と聞かれると少し困る。シンガポールに10年居たので、たいていのことには驚かなくなっていた。強いて言えば、驚かない自分に驚いたくらいである。
サイバージャヤの4年間
最初の拠点は、サイバージャヤだった。2011年からデータセンターの仕事で通っていた、なじみの街だ。そこで4年暮らし、IT特区として街が育っていく様子も、朝の鳥の大合唱も、リスとの暮らしも、たっぷり味わった。街が成熟した証というべきか、渋滞も立派に育った。変化好きの体が、また次の景色を探しはじめたのは、だいたいこの頃である。
そして、Gamuda Coveへ
2026年、Gamuda Coveに越してきた。理由は、第1回の予告編で書いたとおりだ。空港により近く、高速道路の巨大な出入口があって、KL市街へもサイバージャヤより早く出られる。そのサイバージャヤとはサイバーリンクで直結していて、10分ほどで行ける。慣れ親しんだインフラは、そのまま使い続けられる。スープの冷めない距離である。
そして何より、伸びていく街には活気がある。住民は2025年時点で約8,000人、2030年には約8万7,000人になる見込みだ。ご近所さんが10倍以上に増える街に住むのは、なかなか面白い体験である。
もちろん、弱点もある。いちばんは、飲食店が少ないこと。外食の選択肢は、まだ数えられるくらいしか無い。おかげで「今日のランチ、どこにする?」の家族会議は、すぐに終わる。私はお酒を飲まないので、夜の店選びに悩むことも無い。その代わり、少し高いコーヒーを飲んでいる。差し引きすると、あまり節約にはなっていない気もする。商業街区のBay Streetや、スーパーを核にしたCove Centrumの開業を、住民一同、首を長くして待っている。第1回でホテルのレストランに本気で期待していたのは、つまりそういうわけだ。
ここで、何をするのか
Gamuda Coveを拠点に、マレーシアでの事業にも投資していくつもりだ。最初に取り組みたいのは、非認知教育と、日本文化の紹介である。
非認知教育とは、テストの点数では測れない力、たとえば好奇心や、やり抜く力や、人と協力する力を育てる教育のことだ。教室の外で育つ力、と言い換えてもいいかもしれない。育ちざかりの街には、育ちざかりの子どもたちが集まる。その子どもたちに、日本が大切にしてきた文化や考え方を、押しつけではなく、一つの選択肢として手渡したい。具体的な形は、また改めて書くことにする。
変化し続ける街で
このコラムには「育ちざかりの街から」という副題を付けている。最初は、ぐんぐん背を伸ばすGamuda Coveのことを言ったつもりだった。でも書いているうちに、伸びているのは街だけではないことに気づいた。英国式の学校に通う長女も、三つの国を行き来する私も、たぶんまだ育ちざかりである。
変化が好きな男が、変化し続ける街に住む。よく考えると、これ以上の組み合わせは無い。Gamuda Coveは、見るたびにどこかで何かが建っている。おかげで、次に引っ越す理由が、なかなか見つからない。