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マレーシアより愛をこめて 第24回

ガスパールはクチンで朝食を

サラワク・ラクサに、
二度目の恋をした

「神々の朝食」と、ペナンとの終わらない勝負

初めてのラクサは、シンガポールのカレー味だった。おいしかったが、恋には落ちなかった。6年前、クチンのホテルの朝食で、サラワク・ラクサに出会うまでは。

卵焼き、裂いた鶏肉、エビ、もやし、香菜が乗った、赤いスープのサラワク・ラクサ
サラワク・ラクサ。卵焼き、鶏肉、エビ。ボーデインいわく、「神々の朝食」。

神々の朝食

サラワクの州都クチンでは、朝ごはんにラクサを食べる。米の麺に、ココナッツミルクの入った赤茶色のスープ。上には、細切りの卵焼き、裂いた鶏肉、ゆでたエビ、もやし、香菜。脇に、ライムと辛いサンバル。

アメリカの料理人で旅の語り手だった、故アンソニー・ボーデインは、このサラワク・ラクサを「神々の朝食」と呼んだ。大げさに聞こえるかもしれない。だが、一度食べれば分かる。神々も、朝は少し辛いものが食べたいのだ。

最初のラクサは、シンガポールのカレー味

私が初めてラクサを食べたのは、シンガポールだった。シンガポールのラクサは、ココナッツの効いたカレー味である。おいしかった。ただ、正直に言えば、そこまでははまらなかった。

黄色いカレー色のスープに、短く切った太い麺とエビが入ったシンガポールのラクサ
シンガポールの、カレー味のラクサ。おいしい。おいしいのだが、恋には落ちなかった。 Photo: ProjectManhattan., CC0, via Wikimedia Commons

シンガポール法人の社員たちは、毎日のように昼になると「去吃叻沙吧(ラクサを食べに行こう)」と言い、私を連れて行ってくれた。毎日のように聞いたので、この一文は今でも耳に残っている。会社の全責任は私にあったが、昼ごはんを決める権限は、完全にシンガポール人の社員たちの側にあった。中国人の社員は、何度か「スターバックスでランチにしましょう」と提案していたが、そのたびに多勢に無勢。ラクサ派のシンガポール人たちに、あっさり押し切られた。行き先は、決まってラッフルズ・プレイスのラクサの屋台である。第21回で書いた、ミーハーな気持ちで憧れた金融街で、私は毎日ラクサをすすっていたことになる。その屋台には、サラワク・ラクサもあった。食べてはみたが、今思えば、あれは私の好きなサラワク・ラクサではなかった。人と同じで、料理も、出会う場所を間違えると、本当の顔が見えない。

6年前の衝撃

本当の出会いは、6年前だった。クチンのウォーターフロント・ホテルに泊まった朝、ホテルのレストランでサラワク・ラクサを食べた。

ホテルのプールの向こうに、金色の屋根のサラワク州議会の建物と、風にはためくサラワクの旗
ウォーターフロント・ホテルの、レストランと同じ階にあるプール。サラワク川の向こうに、金色の屋根の州議会の建物と、サラワクの旗。この景色を横目に、私はラクサと恋に落ちた。

衝撃だった。その朝、ビュッフェに並んでいたほかの料理を、私はひとつも覚えていない。カレーではない。ペナンのラクサのように、酸っぱいだけでもない。ココナッツミルクのまろやかさの奥から、タマリンドの酸味と、えびの発酵ペーストの深いうまみが、時間差でやって来る。ライムを搾れば、味がもう一段、目を覚ます。シンガポールで何年もラクサを食べてきたのは、この一杯に出会うための助走だったのかと思った。

細切りの卵焼き、裂いた鶏肉、エビが乗った、赤茶色のスープのサラワク・ラクサ
サラワク・ラクサ。卵焼き、鶏肉、エビの三役がそろう。見た目は穏やかだが、ひと口目で静かに殴ってくる。しかも、殴られたほうが、おかわりを頼む。 Photo: Marufish from Alor Setar, Malaysia, CC BY-SA 2.0, via Wikimedia Commons

カーペンター・ストリートから

サラワク・ラクサの起源には、はっきりした記録がない。言い伝えでは、1945年、中国の潮州から渡ってきた呉立德(Goh Lik Teck)という男が、クチンのカーペンター・ストリートで、カレーを使わない麺料理を売り始めたのが始まりだという。

赤い柱と瓦屋根の中国寺院が建つ、クチンのカーペンター・ストリート
カーペンター・ストリートの中国寺院。この古い通りから、サラワク・ラクサは始まったとされる。 Photo: chipmunk_1, CC BY-SA 2.0, via Wikimedia Commons

そして、ウォーターフロント・ホテルは、そのカーペンター・ストリートの目の前に建っている。6年前の私は、知らずにラクサの生まれ故郷の目の前で、ラクサに恋をしていたことになる。

今のサラワク・ラクサを州じゅうに広めたのは、1960〜70年代のクチンのタン一家だとされる。一家は、「Swallow(ツバメ)」という銘柄で、出来合いのラクサ・ペーストを作り、屋台に配った。あとに続いたライバルの銘柄が、Parrot(オウム)、Eagle(ワシ)、Rooster(おんどり)。サラワクのラクサ・ペーストの棚は、ほとんど鳥類図鑑である。

商売の目で見ると、これがサラワク・ラクサの強さの秘密だと思う。味の土台をペーストにまとめたことで、どの屋台でも、ある程度の味が出せるようになった。そのうえで、店ごとに生の香辛料を足し、自分の味に仕上げる。土台はそろえて、仕上げで競う。フランチャイズの教科書に載せたいくらい、よくできた仕組みである。

もやしとエビ、香菜が乗ったサラワク・ラクサと、赤い箸
クチンの人気店のサラワク・ラクサ。同じペーストから出発しても、店ごとに顔が違う。 Photo: Richx10, CC BY-SA 4.0, via Wikimedia Commons

ホテル対抗、ラクサ大会

クチンでの定宿がウォーターフロント・ホテルだったころ、ロビーに、ホテル対抗のラクサ大会で1位になった、という掲示が出ていた。ホテルの人に聞くと、大会は毎年開かれているという。

ホテル同士が、朝ごはんのラクサで本気の勝負をする州。日本でいえば、県内のホテルが朝食の味噌汁で日本一を争うようなものだろうか。ホテルの選び方として、部屋の広さや眺めより、「ラクサの順位」で選ぶ客がいても、この州ならおかしくない。少なくとも、ここに一人いる。ホテルの格は、よその国では星の数で決まるが、クチンではラクサの順位で決まるのである。

サラワク川の岸に、小さな渡し船が停まるクチンの川辺
クチンのサラワク川。ウォーターフロント・ホテルは、この川を望む場所にある。朝のラクサには、川の景色が付いてくる。 Photo: Rulwarih, CC BY-SA 4.0, via Wikimedia Commons

上客のための、ラクサの屋台

2023年10月、クチンにシェラトンが開業した。東マレーシアで初めてのシェラトンである。私は、開業前のソフト・オープンのときから招いていただいている。このホテルもまた、ラクサに相当な力を入れている。朝食のラクサは、文句なしにおいしい。

ロータリーの白とオレンジの猫の像の向こうにそびえる、緑のガラスの高層ホテル
シェラトン・クチンと、手前のロータリーの猫の像。クチンという町の名は、マレー語の「猫(クチン)」と同じ響きを持つ。猫に見守られて、ラクサの屋台付きのラウンジが空に浮かんでいる。 Photo: 愛子棋枰, CC BY-SA 4.0, via Wikimedia Commons

驚いたのは、上位の宿泊客向けのラウンジだ。欧米のホテルの朝食では、目の前で卵を焼いてくれる「エッグ・ステーション」がおなじみだが、ここにはそれと同じ形で「ヌードル・ステーション」がある。注文すると、目の前で麺をゆで、ラクサのスープを張ってくれる。オムレツの焼き加減を聞かれるはずの場所で、麺の種類を聞かれる。黄身より、ラクサなのである。

大理石の床に赤と灰色の椅子が並び、大きな窓の向こうに緑の町と山並みが広がるホテルのラウンジ
シェラトン・クチンの上階のラウンジ。窓の外には、クチンの緑の町並みと、遠くの山。
照明に照らされた棚の前で、料理人が麺のどんぶりを用意するホテルのラウンジのカウンター
シェラトン・クチンのラウンジのヌードル・ステーション。ホテルの朝食で卵を焼いてくれるあの場所が、ここではラクサの屋台になっている。
料理人がトングで米の麺をどんぶりに移し、手前の鍋にはラクサのスープ
注文すると、目の前で麺を湯通しして、スープを張ってくれる。札のいちばん上には、もちろん「Sarawak Laksa」。
窓辺の席から奥のビュッフェのカウンターまで続く、明るいラウンジ
奥に見える明かりの灯った棚の前が、ヌードル・ステーション。景色を見るか、ラクサを見るか。私は、だいたいラクサを見ている。

アメリカ生まれのホテル・チェーンが、いちばん大事な客のためのラウンジに、わざわざラクサの屋台を置く。この州でラクサがどれほど大事にされているかは、それだけでお分かりいただけると思う。クロワッサンより、ラクサ。それが、クチンのおもてなしの作法なのである。

ラクサのスープと鶏のスープの鍋、4種類の麺、具の小鉢が並ぶカウンター
左の鍋がラクサのスープ、右が鶏のスープ。麺は4種類、具は好みで選ぶ。朝から、ちょっとした屋台街である。
エビと香菜が乗った、白いどんぶりのサラワク・ラクサ
ラウンジのラクサ。ホテルらしい上品な顔をしているが、ひと口すすれば、中身はちゃんとサラワクである。

ペナンとの、終わらない勝負

先日乗ったタクシーの運転手は、聞いてもいないのに、サラワク・ラクサとペナン・ラクサのバトルの話を熱く語りはじめた。メーターより先に、ラクサの話が回りはじめたのである。マレーシアでは、ラクサはただの料理ではない。州の誇りを賭けた、終わらない勝負なのである。

名前は同じラクサでも、中身はまるで別物だ。ペナンのアッサム・ラクサは、魚とタマリンドの酸っぱいスープ。サラワクは、ココナッツミルクの入ったまろやかなスープである。

ほぐした魚とエビのペーストが乗った、茶色い酸っぱいスープのペナンのアッサム・ラクサ
ペナンのアッサム・ラクサ。同じラクサという名前で、ここまで違う。兄弟というより、遠い親戚である。 Photo: DTW, CC BY-SA 3.0, via Wikimedia Commons

世界の評価も、真っ二つだ。ペナン側の切り札は、アメリカのCNNが選んだ「世界のおいしい食べ物50」で7位に入ったこと。タイのトムヤムクンより上だった。対するサラワク側は、2021年に料理の評価サイトTasteAtlasで、アジアの料理の1位に選ばれた。5点満点の4.8点で、日本の鍋料理より上である。

そして今年の4月には、ベトナムのホーチミンで開かれた国際料理大会で、クチンのシェフが作ったサラワク・ラクサが金賞を取った。タクシーの運転手が胸を張るのも、無理はない。

ガスパールはクチンで朝食を

映画『ティファニーで朝食を』は、オードリー・ヘップバーンが、夜明けの五番街で宝石店のショーウインドウを眺めながら、クロワッサンとコーヒーの朝食をとる場面から始まる。

私の朝食は、クチンのホテルで、川を眺めながらすするラクサである。宝石は無いが、エビはある。ショーウインドウは無いが、サラワク川がある。神々の朝食を、ホテルのビュッフェで毎朝食べられるのだから、こちらのほうがよほどぜいたくだと思う。

ちなみに、クチンに泊まっているあいだ、私の朝食は100%ラクサである。昼食も、100%ラクサである。神々は一日一食で満足するのかもしれないが、私は二食いただく。夕食まで手を出さないのは、ラクサへの敬意というより、翌朝の楽しみを取っておくためだ。クチンを発つころには、私の体の何割かは、たぶんラクサでできている。

シンガポールで出会い損ねたラクサに、クチンでもう一度出会った。料理も人も、二度目の出会いのほうが深くはまることがある。

参照した資料

  1. Tony Johor Kaki「Origin of Sarawak Laksa · Breakfast of the Gods · Noodles of Obsession」(2024年2月、呉立德とタン一家、鳥の銘柄のペースト). johorkaki.blogspot.com
  2. Rolling Grace「5 Reasons Sarawak Laksa is the Best Breakfast in Borneo」(2026年4月). rollinggrace.com
  3. The Waterfront Hotel「Restaurant & Bar」(カフェ・ヴィア・マーレの看板メニューとしてのサラワク・ラクサ). thewaterfrontkuching.com
  4. New Straits Times「Bourdain puts it: ‘Weapons-grade plutonium’ breakfasts」(2021年11月、TasteAtlasでアジアの料理1位、4.8点). nst.com.my
  5. DayakDaily「Sheraton Kuching is first Sheraton hotel in East Malaysia」(2023年10月). dayakdaily.com
  6. Borneo Post「Sheraton Kuching Hotel now operational following soft opening」(2023年10月7日). theborneopost.com
  7. SAYS「Penang’s Asam Laksa Ranks 7th On CNN’s ‘World’s 50 Best Foods’ List」. says.com
  8. DayakDaily「Sarawak laksa earns gold at Vietnam’s MasterChef of Foodex 2026」(2026年4月24日). dayakdaily.com

画像:Sarawak Laksa (17153636544):Photo: Marufish from Alor Setar, Malaysia, CC BY-SA 2.0, via Wikimedia Commons / Katong laksa:Photo: ProjectManhattan., CC0, via Wikimedia Commons / Laksa Sarawak from Chong Choon Cafe:Photo: Richx10, CC BY-SA 4.0, via Wikimedia Commons / Chinese Temple on Carpenter Street, Kuching:Photo: chipmunk_1, CC BY-SA 2.0, via Wikimedia Commons / Kuching river taxi 20250822:Photo: Rulwarih, CC BY-SA 4.0, via Wikimedia Commons / Assam Laksa, Air Itam, Penang:Photo: DTW, CC BY-SA 3.0, via Wikimedia Commons / Sheraton Hotel, Kuching:Photo: 愛子棋枰, CC BY-SA 4.0, via Wikimedia Commons

冒頭の写真、ウォーターフロント・ホテルのプール、シェラトン・クチンの館内の写真6点は筆者撮影。ホテル対抗のラクサ大会とペナンとのバトルの話は、筆者がホテルの人とタクシーの運転手から聞いたものです。本稿は筆者の見解です。