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マレーシアより愛をこめて 第15回

ガスパール・イン・トランスレーション

英語を、
目的ではなく手段にする

英語を学びに来るのは、少しもったいない

前回、「英語を学ぶためだけにマレーシアに来るのは、少しもったいない」と書いた。英語は、おまけのようなものだ、とも。書いてしまった以上、続きを書かないといけない。では、マレーシアに何を学びに来るのか。先に断っておくと、これは正解の話ではない。ふだんはマレーシアかシンガポールに居て、日本には1か月半に1回ほど戻る。そんな暮らしをしながら小学生2人を育てている父親の、ひとつの考え方である。

高層ビルが立ち並ぶクアラルンプールの街並み
クアラルンプールの街。英語も、マレー語も、中国語も、タミル語も聞こえてくる。 Photo: CEphoto, Uwe Aranas, CC BY-SA 3.0, via Wikimedia Commons

英語は、日本でも学べる

まず、身も蓋もないことを書く。英語は、日本でも学べる。画面越しのオンライン英会話なら、自宅のリビングから、毎朝でも受けられる。かつては「駅前留学」という言葉もあった。飛行機に乗らなくても、駅前で留学できる時代は、とうに来ていたのだ。

英語だけが目的なら、家族で海を渡るのは、少し遠回りかもしれない。引っ越しの段ボールの数を考えれば、なおさらである。

ちなみに、私の英語は、秘伝のたれのようなものだ。日本のジャパングリッシュを元だれに、香港で街の空気を継ぎ足し、シンガポールで長く寝かせた。出来上がったのは、日本語なまりなのか、中華圏の空気を吸いすぎたせいなのか、本人にも見分けのつかない味である。文法はときどき崩れるが、崩れ方には妙な安定感がある。いわば、完璧なブロークン・イングリッシュだ。英語のお手本としては、あまりお勧めできない。

英語を学ぶだけでなく、英語で学ぶ

英語を学ぶのは、日本でもできる。だが、英語で学ぶのは、日本ではなかなかできない。英語は道具で、本番はその先にある。学問でも芸術でも、英語で書かれた本は、日本語の本とは桁違いに多い。新しい研究や情報も、まず英語で出てくる。翻訳を待てば遅れるし、訳す途中で、細かいところがこぼれ落ちることもある。英語で学べれば、世界の本棚に、直接手が届く。

山を背にした、明るい色の校舎と芝生の校庭
Tenby Schools のペナン校(ペナン州)。教室の言葉は英語でも、学ぶ中身は英語そのものではない。 Photo: Danielhon wc, CC BY-SA 4.0, via Wikimedia Commons

娘のピアノが、いい例だ。ふだんのレッスンは、香港人の先生と、華人系マレーシア人の先生に習っている。ハウスコンサートでは、ロシア人のピアニストから手ほどきを受ける。先生たちの母国語は、広東語、中国語、ロシア語とばらばらだが、レッスンの言葉は英語だ。娘は、英語を学んでいるのではない。英語で、ピアノを学んでいる。

日本語の輪は、居心地がいい

マレーシアには、日本人が住みやすい街がある。日本の食材が揃うスーパーがあり、日本語の通じる病院があり、日本人の多いインターナショナルスクールがある。子どもは、休み時間になると日本語で遊ぶ。親は、送り迎えのついでに、日本語でお茶をする。

誰も悪くない。異国で同じ言葉を話す人が居れば、ほっとするのは当たり前だ。私だって、疲れた日に日本語のメニューを見ると、少し安心する。

ただ、子どもは親の背中を見ている。親が日本語の輪の中だけで暮らしていれば、子どももそこから出にくい。学校で英語を習っていても、放課後と週末は、日本語で回っていく。

親の英語がうまいかどうかは、実はそれほど関係ないと思っている。子どもの英語は、たいてい親をあっという間に追い越す。大事なのは、英語のうまさではなく、親が輪の外へ出ていく姿を見せているかどうかだ。下手な英語やマレー語、中国語で、屋台のおじさんと笑い合っている親の背中は、流暢なスピーチより、ずっと多くを教える。

ビザが、親を輪の中に入れてしまう

輪の中にとどまるのは、性格のせいだけではない。ビザの仕組みも大きい。

木の机に置かれた日本のパスポート
日本のパスポート。マレーシアには、90日までならビザなしで入れる。ただし、住むとなると話は別だ。 Photo: Evisa Express, CC BY 2.0, via Wikimedia Commons

教育移住でよく使われるのが、ガーディアンパスだ。子どもの学生ビザに付いて、親が1人だけ住める。ただし、マレーシアで働くことも、事業をすることもできない。学校によっては、マレーシアに住まないほうの親に、月2万5,000リンギット前後の収入を証明するよう求めるところもある。

つまり、多くの家では、母親と子どもがマレーシアに住み、父親は日本で働く。働けない母親の昼間の話し相手が、同じ立場の日本人になるのは、自然な流れだ。これは性格ではなく、制度が作る形なのである。

両親そろって住む方法も、ある。マレーシアで働いて就労ビザを取る。自分で会社を作る。海外の仕事をリモートで続けながら住める、デジタルノマド向けのビザもある。ただし、どれも条件や手間があり、誰にでも向くわけではない。

働けないビザのままでも、工夫はできる。スポーツクラブに入る。マレー語や中国語の教室に通う。地域の祭りやボランティアに顔を出す。日本人以外の知り合いを、一人ずつ増やしていく。輪の外へ出る道は、意外と近所にある。

マレー語、英語、中国語、パンジャーブ語、タミル語で書かれた「立入禁止」の看板
5つの言葉で書かれた「立入禁止」(サバ州コタキナバル)。この国では、入るなと言われるときも、5つの言葉で言われる。 Photo: SSYoung, CC BY-SA 4.0, via Wikimedia Commons

出口から、逆算する

もう一つ、考えておきたいのが出口だ。子どもが大きくなったとき、どこで大学に行き、どこで働くのか。

マレーシア入国管理局の紫色の入国スタンプ
マレーシアの入国スタンプ。教育移住も、入口のスタンプを押す前に、出口を考えておきたい。 Photo: Slleong, CC0, via Wikimedia Commons

日本の有名大学に入り、日本で就職する。それが出口なら、マレーシアの教育には、不利な面も多い。日本の受験は、日本の学校の勉強に合わせて作られている。帰国生向けの入試もあるが、席の数は限られている。

大学の名前の話も、面白い。マレーシアで一番の大学、マラヤ大学の世界での順位は、物差しによって大きく変わる。評判や国際性を重く見るQSでは56位で、前の年の順位で比べると、京都大学とほぼ並ぶ。教育と研究をバランスよく見るTHEでは194位。ノーベル賞や論文など、研究の実績だけを見る上海ランキングでは、600位台になる。同じ大学が、物差しによって56位にも、194位にも、600位台にもなるのだ。それでも、マレーシアの中では、どの物差しでもほぼ一番手である。ところが日本では、ほとんど名前を知られていない。日本の就職面接で「マラヤ大学です」と言ったら、「マヤ文明のご研究ですか」と聞き返されるかもしれない。

青空の下に建つ、東京大学の安田講堂
東京大学の安田講堂。日本では、説明の要らない建物だ。 Photo: Kakidai, CC BY-SA 4.0, via Wikimedia Commons
「DEWAN TUNKU CANSELOR」の文字が掲げられた、マラヤ大学の大講堂
マラヤ大学の大講堂、トゥンク・チャンセラー・ホール。世界のランキングでは、どの物差しにも名前が載る。ただ日本では、まだ説明が要る。 Photo: *angys*, CC BY-SA 4.0, via Wikimedia Commons
三つの世界大学ランキングの比較三つの世界大学ランキング棒が長いほど上位。同じ大学でも、物差しで順位が大きく変わるQS(評判・国際性を重視)THE(教育・研究のバランス)上海ランキング(研究実績のみ)東京大学36位26位31位京都大学57位61位46位マラヤ大学58位201〜250位601〜700位出所:QS World University Rankings 2026、THE World University Rankings 2026、ARWU 2025マラヤ大学の最新順位は、QS 56位、THE 194位(ともに2027年版)、上海ランキング 601〜700位(2026年版)
三つの世界大学ランキング。東京大学と京都大学は、どの物差しでも上位にいる。マラヤ大学は、物差しによって58位にも、600位台にもなる。

順位は物差しで変わっても、日本での知名度だけは、どの物差しで測っても低い。どちらが正しいかではなく、どちらの物差しで生きるかの問題だ。日本の物差しで生きるなら、日本の受験に合わせた準備が要る。世界の物差しで生きるなら、マレーシアは、むしろ近道になる。出口を決めずに入口だけ選ぶと、あとで物差しが合わなくなる。

親ごと、現地化する

私が理想だと思うのは、親ごと現地化することだ。日本人とも、ほかの国の人とも、同じように付き合う。マレー系の知人とハリラヤのオープンハウスを回り、華人の友人と旧正月の食卓を囲み、インド系の隣人とディーパバリのお菓子を交換する。

木々に囲まれた2階建てのインターナショナルスクールの校舎
International School of Kuantan(パハン州クアンタン)。インターは、首都の外にもある。どの街に住むかも、現地化の大事な一歩だ。 Photo: BenTamte, CC BY-SA 4.0, via Wikimedia Commons

そうして暮らしていると、子どもにも、国際的な考え方が自然に身につく。教えなくても、見て覚える。それに、日本でいう成績や偏差値に、とらわれなくなる。ここでは、偏差値を聞いてくる人は居ない。屋台のおじさんが聞いてくるのは、せいぜい「辛いの、大丈夫?」くらいである。

緑と黄色の看板が掲げられた、屋外席のあるママック食堂
ママック(インド系ムスリムの食堂)。偏差値は聞かれないが、辛さは聞かれる。 Photo: CK Tan, CC BY 3.0, via Wikimedia Commons

第3回で、マレーシアで非認知教育に投資していきたい、と書いた。非認知教育とは、テストの点数では測れない力を育てる教育のことだ。好奇心、やり抜く力、人と協力する力。考えてみれば、この国の街や祭りは、それを毎日、黙って教えてくれている。私がやりたいのは、その教室の外の学びに、もう少し形を与えることだ。具体的な話は、いま仕込みの途中である。もう少しだけ、寝かせておきたい。

偉そうに書いたが、私自身も現地化の途中だ。マレー語は、挨拶と、お礼と、値段の数字で止まっている。屋台での会話は、半分が身振りである。それでも、おじさんは笑ってくれる。現地化に要るのは、語学力より、笑われる勇気なのかもしれない。

中国語とマレー語の看板が並ぶ、アロー通りの屋台街
アロー通りの屋台街(クアラルンプール)。教室の外にも、授業はある。 Photo: Alexander Synaptic, CC BY-SA 4.0, via Wikimedia Commons

教育の目で見ると

職業柄、ここから学べることを三つ挙げておく。

一つ目は、入口より出口を先に考えることだ。日本に戻るのか、世界に出るのか。出口が決まれば、学校もビザも、選び方が変わる。

二つ目は、ビザが暮らし方を決めることだ。どのビザで住むかによって、親が働けるか、家族そろって住めるかが変わる。そしてそれが、親の付き合いの広さを決め、子どもの世界の広さを決める。

三つ目は、輪の外に一歩出ることだ。日本人の輪を抜ける必要はない。輪の外にも、一つ椅子を置いておけばいい。

ガスパール・イン・トランスレーション

映画『ロスト・イン・トランスレーション』では、言葉の通じない東京で、二人のアメリカ人が出会う。最後の場面で、男は女の耳元で何かを囁く。その言葉は、観客には聞こえない。

マレーシアの教育移住で一番大事なことも、たぶん、英語の教科書には載っていない。英語は、目的ではなく手段だ。屋台の喧騒と、祭りの音と、いくつもの言葉の中で、子どもたちは自分で聞き取っていく。親にできるのは、その場所まで、一緒に出ていくことくらいだ。

最後に、予告をひとつ。教育移住には、お金の話がもれなく付いてくる。学費だけではない。母子の住まい、年2回の日本への帰国、そして多くの家では、母親の収入が0になる。父親がどこに住むかひとつで、12年で数千万円変わることもある。

近いうちに、何回かに分けて、このお金の話を書く。父親のビザの話も、その中で。ビザの書類と家計簿の前に座ると、私はいつも迷子になる。ロスト・イン・アプリケーションである。

参照した資料

  1. SAYS「UM Rises To 56th Place In Global University Rankings, Its Best Ranking So Far」(2026年、QS 2027年版). says.com
  2. ShanghaiRanking「University of Malaya」(上海ランキング2026年版で601〜700位). shanghairanking.com
  3. Clarivate「ShanghaiRanking's Academic Ranking of World Universities 2025」(東京大学31位、京都大学46位). clarivate.com
  4. The Star「UM enters world’s top 200 in latest global rankings」(2026年9月30日、THE 2027年版で194位). thestar.com.my
  5. nippon.com「University of Tokyo Climbs Again in World Rankings」(THE 2026年版の日本の大学の順位). nippon.com
  6. EduAdvisor「The Top Universities in Malaysia According to Times Higher Education 2026」. eduadvisor.my
  7. QS「2026 QS World University Rankings」(2025年6月). qs.com の一覧表
  8. Alice Smith School「Immigration Requirements」(ガーディアンパスの条件). alice-smith.edu.my
  9. OpenVisa「Malaysia Guardian Pass」(ガーディアンパスで働けないこと). openvisa.org

画像:"No Admittance" sign in five languages in Kota Kinabalu, Malaysia:Photo: SSYoung, CC BY-SA 4.0, via Wikimedia Commons / Jalan Alor Kuala Lumpur:Photo: Alexander Synaptic, CC BY-SA 4.0, via Wikimedia Commons / Kuala Lumpur Malaysia Skyline-03:Photo: CEphoto, Uwe Aranas, CC BY-SA 3.0, via Wikimedia Commons / Restaurant Ahmediah - panoramio:Photo: CK Tan, CC BY 3.0, via Wikimedia Commons / Japanese passport on a table:Photo: Evisa Express, CC BY 2.0, via Wikimedia Commons / Malaysia Passport Stamp Bukit Berapit 1:Photo: Slleong, CC0, via Wikimedia Commons / Tenby Schools Penang:Photo: Danielhon wc, CC BY-SA 4.0, via Wikimedia Commons / International School of Kuantan:Photo: BenTamte, CC BY-SA 4.0, via Wikimedia Commons / 2024 Yasuda Auditorium - Tokyo University:Photo: Kakidai, CC BY-SA 4.0, via Wikimedia Commons / Dewan Tunku Canselor UM 2021 05:Photo: *angys*, CC BY-SA 4.0, via Wikimedia Commons

ビザの条件は変わることがあります。最新の情報は、マレーシア入国管理局や各学校でご確認ください。本稿は公開情報をもとにした筆者の見解です。