マレーシアより愛をこめて 第15回
ガスパール・イン・トランスレーション
英語を、
目的ではなく手段にする
英語を学びに来るのは、少しもったいない
前回、「英語を学ぶためだけにマレーシアに来るのは、少しもったいない」と書いた。英語は、おまけのようなものだ、とも。書いてしまった以上、続きを書かないといけない。では、マレーシアに何を学びに来るのか。先に断っておくと、これは正解の話ではない。ふだんはマレーシアかシンガポールに居て、日本には1か月半に1回ほど戻る。そんな暮らしをしながら小学生2人を育てている父親の、ひとつの考え方である。
英語は、日本でも学べる
まず、身も蓋もないことを書く。英語は、日本でも学べる。画面越しのオンライン英会話なら、自宅のリビングから、毎朝でも受けられる。かつては「駅前留学」という言葉もあった。飛行機に乗らなくても、駅前で留学できる時代は、とうに来ていたのだ。
英語だけが目的なら、家族で海を渡るのは、少し遠回りかもしれない。引っ越しの段ボールの数を考えれば、なおさらである。
ちなみに、私の英語は、秘伝のたれのようなものだ。日本のジャパングリッシュを元だれに、香港で街の空気を継ぎ足し、シンガポールで長く寝かせた。出来上がったのは、日本語なまりなのか、中華圏の空気を吸いすぎたせいなのか、本人にも見分けのつかない味である。文法はときどき崩れるが、崩れ方には妙な安定感がある。いわば、完璧なブロークン・イングリッシュだ。英語のお手本としては、あまりお勧めできない。
英語を学ぶだけでなく、英語で学ぶ
英語を学ぶのは、日本でもできる。だが、英語で学ぶのは、日本ではなかなかできない。英語は道具で、本番はその先にある。学問でも芸術でも、英語で書かれた本は、日本語の本とは桁違いに多い。新しい研究や情報も、まず英語で出てくる。翻訳を待てば遅れるし、訳す途中で、細かいところがこぼれ落ちることもある。英語で学べれば、世界の本棚に、直接手が届く。
娘のピアノが、いい例だ。ふだんのレッスンは、香港人の先生と、華人系マレーシア人の先生に習っている。ハウスコンサートでは、ロシア人のピアニストから手ほどきを受ける。先生たちの母国語は、広東語、中国語、ロシア語とばらばらだが、レッスンの言葉は英語だ。娘は、英語を学んでいるのではない。英語で、ピアノを学んでいる。
日本語の輪は、居心地がいい
マレーシアには、日本人が住みやすい街がある。日本の食材が揃うスーパーがあり、日本語の通じる病院があり、日本人の多いインターナショナルスクールがある。子どもは、休み時間になると日本語で遊ぶ。親は、送り迎えのついでに、日本語でお茶をする。
誰も悪くない。異国で同じ言葉を話す人が居れば、ほっとするのは当たり前だ。私だって、疲れた日に日本語のメニューを見ると、少し安心する。
ただ、子どもは親の背中を見ている。親が日本語の輪の中だけで暮らしていれば、子どももそこから出にくい。学校で英語を習っていても、放課後と週末は、日本語で回っていく。
親の英語がうまいかどうかは、実はそれほど関係ないと思っている。子どもの英語は、たいてい親をあっという間に追い越す。大事なのは、英語のうまさではなく、親が輪の外へ出ていく姿を見せているかどうかだ。下手な英語やマレー語、中国語で、屋台のおじさんと笑い合っている親の背中は、流暢なスピーチより、ずっと多くを教える。
ビザが、親を輪の中に入れてしまう
輪の中にとどまるのは、性格のせいだけではない。ビザの仕組みも大きい。
教育移住でよく使われるのが、ガーディアンパスだ。子どもの学生ビザに付いて、親が1人だけ住める。ただし、マレーシアで働くことも、事業をすることもできない。学校によっては、マレーシアに住まないほうの親に、月2万5,000リンギット前後の収入を証明するよう求めるところもある。
つまり、多くの家では、母親と子どもがマレーシアに住み、父親は日本で働く。働けない母親の昼間の話し相手が、同じ立場の日本人になるのは、自然な流れだ。これは性格ではなく、制度が作る形なのである。
両親そろって住む方法も、ある。マレーシアで働いて就労ビザを取る。自分で会社を作る。海外の仕事をリモートで続けながら住める、デジタルノマド向けのビザもある。ただし、どれも条件や手間があり、誰にでも向くわけではない。
働けないビザのままでも、工夫はできる。スポーツクラブに入る。マレー語や中国語の教室に通う。地域の祭りやボランティアに顔を出す。日本人以外の知り合いを、一人ずつ増やしていく。輪の外へ出る道は、意外と近所にある。
出口から、逆算する
もう一つ、考えておきたいのが出口だ。子どもが大きくなったとき、どこで大学に行き、どこで働くのか。
日本の有名大学に入り、日本で就職する。それが出口なら、マレーシアの教育には、不利な面も多い。日本の受験は、日本の学校の勉強に合わせて作られている。帰国生向けの入試もあるが、席の数は限られている。
大学の名前の話も、面白い。マレーシアで一番の大学、マラヤ大学の世界での順位は、物差しによって大きく変わる。評判や国際性を重く見るQSでは56位で、前の年の順位で比べると、京都大学とほぼ並ぶ。教育と研究をバランスよく見るTHEでは194位。ノーベル賞や論文など、研究の実績だけを見る上海ランキングでは、600位台になる。同じ大学が、物差しによって56位にも、194位にも、600位台にもなるのだ。それでも、マレーシアの中では、どの物差しでもほぼ一番手である。ところが日本では、ほとんど名前を知られていない。日本の就職面接で「マラヤ大学です」と言ったら、「マヤ文明のご研究ですか」と聞き返されるかもしれない。
順位は物差しで変わっても、日本での知名度だけは、どの物差しで測っても低い。どちらが正しいかではなく、どちらの物差しで生きるかの問題だ。日本の物差しで生きるなら、日本の受験に合わせた準備が要る。世界の物差しで生きるなら、マレーシアは、むしろ近道になる。出口を決めずに入口だけ選ぶと、あとで物差しが合わなくなる。
親ごと、現地化する
私が理想だと思うのは、親ごと現地化することだ。日本人とも、ほかの国の人とも、同じように付き合う。マレー系の知人とハリラヤのオープンハウスを回り、華人の友人と旧正月の食卓を囲み、インド系の隣人とディーパバリのお菓子を交換する。
そうして暮らしていると、子どもにも、国際的な考え方が自然に身につく。教えなくても、見て覚える。それに、日本でいう成績や偏差値に、とらわれなくなる。ここでは、偏差値を聞いてくる人は居ない。屋台のおじさんが聞いてくるのは、せいぜい「辛いの、大丈夫?」くらいである。
第3回で、マレーシアで非認知教育に投資していきたい、と書いた。非認知教育とは、テストの点数では測れない力を育てる教育のことだ。好奇心、やり抜く力、人と協力する力。考えてみれば、この国の街や祭りは、それを毎日、黙って教えてくれている。私がやりたいのは、その教室の外の学びに、もう少し形を与えることだ。具体的な話は、いま仕込みの途中である。もう少しだけ、寝かせておきたい。
偉そうに書いたが、私自身も現地化の途中だ。マレー語は、挨拶と、お礼と、値段の数字で止まっている。屋台での会話は、半分が身振りである。それでも、おじさんは笑ってくれる。現地化に要るのは、語学力より、笑われる勇気なのかもしれない。
教育の目で見ると
職業柄、ここから学べることを三つ挙げておく。
一つ目は、入口より出口を先に考えることだ。日本に戻るのか、世界に出るのか。出口が決まれば、学校もビザも、選び方が変わる。
二つ目は、ビザが暮らし方を決めることだ。どのビザで住むかによって、親が働けるか、家族そろって住めるかが変わる。そしてそれが、親の付き合いの広さを決め、子どもの世界の広さを決める。
三つ目は、輪の外に一歩出ることだ。日本人の輪を抜ける必要はない。輪の外にも、一つ椅子を置いておけばいい。
ガスパール・イン・トランスレーション
映画『ロスト・イン・トランスレーション』では、言葉の通じない東京で、二人のアメリカ人が出会う。最後の場面で、男は女の耳元で何かを囁く。その言葉は、観客には聞こえない。
マレーシアの教育移住で一番大事なことも、たぶん、英語の教科書には載っていない。英語は、目的ではなく手段だ。屋台の喧騒と、祭りの音と、いくつもの言葉の中で、子どもたちは自分で聞き取っていく。親にできるのは、その場所まで、一緒に出ていくことくらいだ。
最後に、予告をひとつ。教育移住には、お金の話がもれなく付いてくる。学費だけではない。母子の住まい、年2回の日本への帰国、そして多くの家では、母親の収入が0になる。父親がどこに住むかひとつで、12年で数千万円変わることもある。
近いうちに、何回かに分けて、このお金の話を書く。父親のビザの話も、その中で。ビザの書類と家計簿の前に座ると、私はいつも迷子になる。ロスト・イン・アプリケーションである。