マレーシアより愛をこめて 第20回
スーパーのガスパール
Jaya GrocerとVillage Grocerは、
誰のものか
マレーシアの高級スーパー2強。二つの家の雑貨店が、Grabとタイの財閥に買われるまで
郊外に住み、近所の高級スーパーに通う。ヨーグルトを買い、値引きの棚をのぞき、ついでに値札を眺める。そのうち、売り場より、売り場のうしろが気になってきた。この店は、いったい誰のものなのか。調べてみると、二つの家族の80年と、配車アプリのGrabと、タイの財閥が出てきた。
郊外の台所
わが家は、クアラルンプールの郊外、ガムダ・コーブに住んでいる。家賃が安いからではない。渋滞を避け、セキュリティがしっかりしていて、外国人の多い住宅街を選んだら、郊外になった。マレーシアは比較的治安の良い国だが、それでも安全はタダではない。お金で買うものだ。外国人の家族が暮らすなら、24時間の警備が付いた住宅に住むことになる。家賃の一部は、門番の給料なのである。
わが家は、自炊が中心だ。郊外には日本料理店がほとんど無いし、子どもがまだ小さいので、外食より家で食べるほうが楽でもある。都心のコンドミニアムより台所が少し使いやすい、というのも助かっている。食材は中華系を軸に、日本のものはスーパーで買うか、日本から運ぶ。納豆と味噌は自家製。日本の米は、そのまま炊く日もあれば、ジャポニカ米と混ぜる日もある。パンも焼く。豚肉はスーパーにも並ぶが、満足できないので、専門の通販業者からキロ単位で取り寄せている。
果物と鮮魚と鶏肉は、近所の庶民派のスーパーで買う。マレー系の人たちが通う、ハラールの店だ。安くて、新鮮で、うまい。
ここで、高級スーパーという言葉を、少しだけ定義しておく。高級といっても、銀座の老舗のような店ではない。輸入食材が豊富で、豚肉やお酒を扱うノンハラールの売り場を備え、たいていは都心のモールや高級住宅街に入っているスーパーのことだ。値段は、庶民派の店より一回り高い。
断っておくと、高級スーパーに通うのは、贅沢がしたいからではない。外国人としてこの国で暮らすと、どうしても高級スーパーに行かざるを得ない場面があるのだ。外国人の多くは、豚肉やお酒、母国の調味料を求めて通う。私の場合の目当ては、低脂肪のヨーグルトと醤油である。どちらも、庶民派の店ではなかなか見つからない。お酒は飲まないので、ワインの棚は素通りだ。外国人にとって、高級スーパーは贅沢の店というより、生活の補給基地なのである。家の近くには、Village Grocer も Jaya Grocer もある。通ううちに、だんだん売り場より、商売のほうが気になってきた。
業態ごとに、主役が違う
まず、地図を広げておく。マレーシアの食料品の小売は、業態ごとに主役がはっきり分かれている。
スーパーマーケットではAEONが28%で首位。ハイパーマーケットではタイ資本のLotus’sが42%。そして、街角のミニマートでは、99 Speedmartが53%と、ほとんど独走している。安さ、大きさ、品ぞろえ。それぞれの物差しで、それぞれの王様がいる。
ちなみに、高級スーパーに並ぶのは輸入品ばかりではない。パイナップルやバナナ、高原の葉物野菜など、国産品も多い。
高級スーパーは、この地図のどこにも大きく載っていない。数字の上では、小さな一角にすぎない。ところが、この小さな一角が、いま一番値の付く場所になっている。
高級スーパーの2強
高級スーパーは、Jaya Grocer と Village Grocer の2強である。シェアは公表されていないので店舗数で比べると、Jaya Grocer が55店、Village Grocer が34店。Village Grocer の運営会社 The Food Purveyor(TFP)は、ほかにB.I.G.や超高級のThe Food Merchantなども持ち、グループ全体では50店ほどになる。
よろず屋から始まった、二つの家
調べてみて、驚いた。2社は、そっくりな道を歩いている。
Jaya Grocer の始まりは、1944年。創業家のテン家の先代が、クアラルンプールのセントゥルで小さな雑貨店を開いた。一家はその後、バンサーの人気店TMCや、スーパーのGiantを立ち上げ、どちらも香港のDairy Farmに売った。そして2007年、ペタリンジャヤに Jaya Grocer の1号店を開く。
Village Grocer の始まりは、1950年代。オン家が、ゴンバックで近所の雑貨店を営んでいた。1997年に庶民向けのスーパー Pasaraya OTK を開き、2004年、バンサー・ヴィレッジで高級スーパー Village Grocer を始めた。
どちらも、家族の雑貨店から始まり、二代目、三代目で高級スーパーに化けた。マレーシアの華人の商いは、だいたいこの形をしている。小さな店で客の顔を覚え、その客が豊かになるのに合わせて、店も一緒に背伸びしていく。
ファンドを経て、断れない申し出
次の段階も、そっくりだ。成長の途中で、投資ファンドが入る。Village Grocer には2014年にNavis Capitalが、Jaya Grocer には2016年にAIGFが、それぞれ大きく出資した。ファンドの資金で店を増やし、仕組みを整え、そして最後に、ファンドは売り先を探す。
映画『ゴッドファーザー』に、こんな台詞がある。断れない申し出をしてやる。2社に届いたのは、まさにその種の申し出だった。
Jaya Grocer を買ったのは、シンガポールに本社を置く配車アプリの Grab。2022年、最大18億リンギットとされる額で手に入れた。Village Grocer を含むTFPを買ったのは、タイの CP グループ傘下でLotus’sを運営する CP Axtra。2026年9月に、16億リンギットで買収を終えた。
つまり、マレーシアの高級スーパーで卵を買うと、お金の一部はシンガポールの配車アプリへ、もう一部はタイの財閥へ流れていく。レジの向こう側は、思っていたよりずっと国際的なのである。
なぜ、スーパーではない会社が買うのか
では、なぜ配車アプリとハイパーマーケットが、わざわざ高級スーパーを買うのか。商売の目で見ると、理由ははっきりしている。
Grab が欲しかったのは、店そのものより、生鮮品の在庫と配送の拠点だ。ネットで注文された野菜や肉を、近くの店から30分で届ける。そのためには、街なかに冷蔵庫付きの倉庫が要る。高級スーパーは、それがそのまま手に入る。Jaya Grocer が2025年に1億リンギットをかけて自動倉庫を建てたのも、その延長線上にある。
CP Axtra が欲しかったのは、場所と客だ。巨大なハイパーマーケットは、郊外の広い土地には建てられても、都心の高級モールや高級住宅街には入れない。高級スーパーなら、その一等地にすでに店がある。そして、そこに来る客は、値段より品質で選ぶ人たちだ。
そして、もう一つ。高級スーパーの稼ぎ頭は、ノンハラールの部屋にある。豚肉、ワイン、輸入チーズ。イスラム教徒が多数派の国で、これらをきちんと揃えられる店は限られる。華人や外国人の客が、高級スーパーを選ぶ理由の多くは、この扉の奥にある。
商売の目で見ると
職業柄、ここから学べることを三つ挙げておく。
一つ目は、小さな一角ほど高く売れることがある、ということだ。シェアでは目立たない高級スーパーが、売上の1.3倍から1.4倍で買われた。買い手が手に入れたのは売上ではなく、ほかでは手に入らない立地と客層だった。
二つ目は、家族経営の出口の形だ。家族で育て、ファンドと組んで大きくし、最後は自分の弱みを補いたい大企業に売る。テン家もオン家も、同じ道を選んだ。日本の中小企業の事業承継にも、そのまま使える筋書きである。
三つ目は、売り場は国の顔をしている、ということだ。ハラールとノンハラールを部屋で分け、マレー語と英語と中国語で値札を書き、日本の味噌と南アフリカのレモンを同じ通路に並べる。多民族の国で商売をするなら、まず売り場の作り方から学ぶといい。
スーパーのガスパール
伊丹十三の映画『スーパーの女』で、宮本信子演じる主婦は、つぶれかけたスーパーを、主婦の目で立て直していく。売り場を見れば、店の経営が分かる。客は、ちゃんと見ている。
私も、郊外の台所から通う一人の客として、売り場を見ている。卵の値段を見て、豚肉の部屋の広さを見て、そのうしろに、Grabとタイの財閥と、二つの家族の80年の歴史を見る。買い物かごは軽いのに、考えることは、だいぶ重い。
もっとも、買って帰るのは、低脂肪のヨーグルトと醤油、それに入り口近くの値引きの棚に並んだものだけだ。果物と魚と鶏肉は庶民派の店で買い、納豆と味噌は家で作っている。高級スーパーにとって、私はたぶん、あまり儲からない客である。