マレーシアより愛をこめて 第2回
ガスパール、パドルは見るだけ
スタバのレジ横に、
パドルが並んだ日
マレーシアのピックルボール熱は、ブームか、バブルか
朝のコーヒーを頼んだら、レジの横にパドルが立っていた。ピックルボールの、それも米国協会公認の競技用である。マレーシアでいま狂ったように流行っているこのスポーツは、テニスコートを次々と塗り替え、とうとうコーヒーショップのレジ横にまでやってきた。昔の相場師は「靴磨きの少年が株の話を始めたら売り時」と言ったそうだが、スタバがパドルを売り始めたら、いったい何時なのだろう。
レジ横のパドル
最初は、ラケットの飾りかと思った。よく見ると、ピックルボールのパドルだ。スターバックスと、パドルメーカーのWowllyのコラボ商品。黒いケースには「Your Daily Dose of Main Character Energy」とある。毎日一杯の、主人公エネルギー。コーヒーの宣伝なのかパドルの宣伝なのか、もはや区別がつかない。
しかもこれ、記念グッズのおもちゃではない。台紙を読むと、両手バックハンド向けに設計された競技モデルで、面には米国ピックルボール協会の認定シールまで貼ってある。コーヒーを買いに来た人に、本気の道具を売っているのだ。流行もここまで来たか、という一枚である。
無料のテニスコートが、有料のピックルコートに
身の回りでも、変化ははっきりしている。私が以前住んでいたサイバージャヤの住宅では、共用部に数面あったテニスコートが、すべて屋根付きのピックルボールコートに生まれ変わった。住民なら無料で使えたテニスコートが、有料のコートになったわけだ。屋根が付いたのはありがたい。ただ、住民の財布には屋根が付かなかった。
お金の理屈でいえば、これは自然な流れだ。テニスコート1面の広さに、ピックルボールのコートは3〜4面入る。テニスなら1面で2〜4人のところ、同じ面積で12〜16人が遊べる。予約制の時間貸しにすれば、ただの共用設備が、1時間ごとにお金を生む施設に変わる。管理する側にとって、これほど分かりやすい「資産の有効活用」はなかなか無い。
もっとも、テニス愛好家の心中は穏やかではない。共用のコートに線が増えることや、コートの傷みについて、不満の声も上がっている。テニスの側から見れば、自分たちのコートが4つに割られていくのだから、無理もない。
屋上遊園地、ふたたび
街の大きなモールでは、屋上のフリースペースが4面のピックルボールコートになった。第1回のコラムで、Gamuda Coveのホテルを「昭和のデパートの屋上遊園地」にたとえたが、まさか本物の屋上で同じことが起きるとは思わなかった。
別の場所では、屋根の下でスケボー少年たちが走り回っていた広場にも、いまは青いコートがずらりと並んでいる。
モールにとって、屋上の空きスペースは扱いに困る場所だ。そこにコートを並べれば、場所代が入るうえに、プレーの前後に食事や買い物をしてくれるお客さんまで連れてきてくれる。観覧車の代わりにネットを張った、令和の屋上遊園地である。
同じ動きは、クアラルンプール周辺のあちこちで起きている。空き倉庫やモールの屋上が、12〜17面を抱える大型のピックルボール施設に変わり、ラウンジやコールドプランジ(冷水浴)まで備えるところも出てきた。
なぜ、こんなに流行るのか
理由はシンプルで、初日から楽しいからだと思う。コートは小さく、ボールは穴のあいたプラスチック製で、テニスほど走らなくていい。バドミントンのようにスマッシュやドロップを覚えなくても、とりあえずラリーが続く。マレーシアのテニス出身のプロ選手も、ピックルボールは入口が低く、まず打てるところから始められると話している。
追い風も吹いている。今年4月には、アンドレ・アガシをはじめとする世界のトップ選手たちが、ツアーの宣伝でクアラルンプールにやってきた。テニスの伝説がパドルを握ってやってくるのだから、テニスコートが塗り替えられるのも無理はない。
靴磨きの少年は、もうパドルを売っている
では、このブームはどこまで続くのだろうか。気になるニュースもある。今年7月、マレーシアの経済紙は、コートの増え方が需要を追い越し始め、運営会社の関心が「新しいコートを作ること」から「稼働率と常連客づくり」に移っていると報じた。
マレーシアには、苦い前例もある。かつてフットサルのコートが全国に一気に増え、その後ブームは下火になった。ピックルボールも同じ道をたどるのではないか、と心配する声は以前からある。
冒頭の靴磨きの少年の話に戻れば、スタバのパドルは、ブームが普通の人のところまで届いた証拠だ。それは同時に、新しく始める人の数が、そろそろ頭打ちに近づいているサインなのかもしれない。
残るのは、どのコートか
それでも私は、ピックルボールそのものが消えるとは思っていない。年齢を問わず、初日から楽しめるスポーツは、そう簡単には廃れないからだ。変わるのは、コートの数のほうだろう。
その意味で、私が身近で見てきた転換は、なかなか筋がいいと思う。住宅の共用部も、モールの屋上も、広場も、もともと人が集まる場所で、余っていた面積を割り当てただけだ。新しく土地を買ったわけでも、お客さんを一から集めるわけでもない。ブームが落ち着いても、住民や買い物客という常連が、最初から目の前に居る。
逆に苦しくなりそうなのは、ブームを当て込んで、人の流れのない場所に大きな施設を建てたところだ。コートを並べるのは簡単でも、コートを埋め続けるのは難しい。結局のところ、勝負を決めるのはコートの数ではなく、そこに集まる人の輪なのだと思う。第1回のホテルの話と、実は同じ結論である。
ブームの外側で
最後に、身内の話をひとつ。スタバのレジ横にパドルが並んでいても、まったく心を動かされない人間も居る。うちの娘だ。ピックルボールにはとんと興味がなく、フラペチーノを片手に、本の世界に沈んでいる。根っからの本の虫である。
この日、娘が読んでいたのは『ポリアンナ』だった。どんなにつらいことがあっても「よかった」を探す少女の物語だ。テニスコートを失ったサイバージャヤの元ご近所さんたちにも、そっと一冊すすめたくなる。屋根が付いて、雨の日でも打てるようになった。ほら、よかった探しである。
ブームはいつか落ち着く。でも、コーヒーと本の組み合わせは、何十年たってもたぶん廃れない。スタバにとっていちばん手堅いお客さんは、案外こういう人なのかもしれない。