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マレーシアより愛をこめて 第13回

ガスパール お任せの報酬

回転寿司の客が、
おまかせのカウンターに座る

クアラルンプールで、勢力図の一番上へ

第11回で黄色い皿の寿司を食べながら、「来週は勢力図の一番上に行く」と書いた。行ってきた。クアラルンプールのおまかせ寿司である。先に白状しておくと、私はもっぱら回転寿司の客だ。そもそも寿司にそれほど興味が無く、子どもたちに連れて行かれる立場である。その男が、おまかせのカウンターに座った。

カウンターの奥で、マグロの柵に包丁を入れる職人
Iki Omakase のカウンター。

回転寿司の客、カウンターに座る

店は、友人が泊まっているリッツ・カールトンから、歩いて5分ほどの所にある。このあたりは、クアラルンプールでも高級ホテルが一番集まっている一角だ。リッツ・カールトンの隣にJWマリオット、その先にウェスティン、バンヤンツリーが運営するパビリオン・ホテル、少し歩けばバンヤンツリー。おまかせの客は、ホテルから歩いてやってくる。商売の立地としては、これ以上ない。

店は、クアラルンプールのインビ地区にある「Iki Omakase」。豚肉を使わない店で、ランチのおまかせは238リンギット(約9,200円)から。この日のおまかせは、400リンギット(約1万5,500円)を超えた。黄色い皿に換算すると、220枚あまり。皿1枚の厚みは約2センチなので、積めば4.4メートルになる。テーブルの上から積み上げれば、天井に2回届く。ちなみに私は、黄色い皿の店ではだいたい8枚で満腹になる。つまりこの日のランチは、回転寿司27回分である。Google の評価は4.9で、口コミは900件を超える。

この日の同行者は三人。日本でおまかせ寿司の店を経営するパパ友、知人の海苔会社の社長、そして日本の食材を扱う貿易会社のマレーシア代表だ。寿司屋を経営する人、寿司を包む人、寿司のネタを運ぶ人。そこに、寿司に興味の無い私が一人。人生は、ときどき配役を間違える。

寿司に興味が無いことには、一応、言い訳がある。私の両親は、二人とも長野県松本市の出身だ。周りを3,000メートル級の山々に囲まれた、日本最後の食材のガラパゴスである。小さい頃、祖父から、海の魚は山を越えて運ぶうちに、着くころには全部真っ黒になっている、マグロはヅケになっている、と聞かされた。本当かどうかは、分からない。ただ、私の寿司の知識も、山を越えてくる途中で、どうやら真っ黒になったらしい。

ちなみに、クアラルンプールでおまかせ寿司の店を経営する仲の良いパパ友も、何人か居る。もちろん、本人たちが板前をしているわけではない。皆、投資家や経営者だ。マレーシアに家族で暮らす日本人は、実はそれほど多くない。多くは母と子の教育移住で、父親も一緒に住んでいる家は、ほとんどが何かしらの経営者だ。だからパパ友を集めると、なぜか社長が揃う。父親のビザの取りにくさの話と一緒に、その話は、近いうちに。

席に着いて、まず落ち着かなかった。皿が、流れてこない。タッチパネルも無い。目の前には、包丁を持った職人が一人。私のためだけに、一貫ずつ握ってくれる。回転寿司では、私が皿を選ぶ。ここでは、皿のほうが私を選ぶ。

海ぶどうと花びらを添えた、透き通ったジュレの前菜
前菜。ジュレの上に、海ぶどうと花びら。回転寿司のレーンには、まず流れてこない。

そもそも、おまかせとは

「おまかせ」は、文字どおり「お任せします」。何を、どの順番で握るかを、職人に任せる頼み方だ。メニューを読む手間も、値段を見て青ざめる手間も、省いてくれる。後者は、会計のときにまとめてやってくる。

根っこは、江戸後期の江戸前鮨にある。握りの順番を職人に任せる客が居て、そこから少しずつ形になった。注文の形として定着したのは戦後で、「鮨の天皇」と呼ばれた職人が確立したとされる。言葉として広まったのはバブル期だが、2000年代の初めまでは、むしろ初心者向けの頼み方だった。通は「お好み」で、自分で頼むものだったのである。流行は二十年で裏返る。ネクタイの太さと同じだ。

ブリタニカの百科事典には、もっと正直な説明がある。寿司や魚に詳しくない成金の客が、知らないことを悟られずに済むように広まった、と。寿司を知らない私にとって、これほどありがたい仕組みは無い。何も知らないまま、通の顔で座っていられる。

マグロの赤身に、すりおろした長芋と菊の花、わさび
マグロの赤身に、長芋と菊の花。私は黙って、通の顔をしていた。

世界に出たおまかせ

おまかせを世界の言葉にしたのは、ニューヨークだ。2004年に開いた「Masa」は、1人300ドルのおまかせで高級料理の代名詞になった。2011年の映画『二郎は鮨の夢を見る』が、それに火を付けた。世界中の人が、銀座のビルの地下にある小さな店の予約を取ろうとして、そして取れなかった。

ただ、その後の話が面白い。いまニューヨークのおまかせの中央値は110ドルまで下がった。2019年までの10年に開いたおまかせ専門店は、半分が閉店している。普通の寿司店の閉店率は8%なので、6倍以上だ。おまかせは、華やかで、そして厳しい。任せた客は満腹で帰るが、任された店は、半分が帰ってこない。

クアラルンプールにも、118リンギットの入門編から、1,000リンギットを超える店まで、おまかせの店が並ぶ。勢力図の一番上は、思ったより広かった。

そもそも、海外の日本食レストランは、この十数年で一気に増えた。2013年に約5万5,000店だったのが、2023年には約18万7,000店。2025年は約18万1,000店と、数字の上では初めて減った。ただ、これは中国の店が大きく減った分で、国際情勢を考えれば、世界全体の流れとは別の話だ。北米などでは、むしろ増えている。そのうち寿司屋が何割かは、公式な数字が無い。ただ、海外の人に好きな日本料理を聞いた調査では、寿司・刺身が35%で、2位のラーメン(9%)を大きく引き離していた。日本食の顔は、やはり寿司である。ラーメンは、顔ではなく胃袋を掴んでいる、ということにしておこう。

海外の日本食レストラン数の推移海外の日本食レストラン数の推移(千店)2013〜2025年。2年ごとの調査世界全体うちアジア05010015020055891181561591871812013201520172019202120232025出所:農林水産省「海外における日本食レストランの概数」
海外の日本食レストラン数の推移。12年で3倍以上に増えた。2025年の減少は、中国の店が減った分。

東南アジアに目を移すと、日本食の店そのものが増えている。2025年の日本食レストランの数は、インドネシアが6,580店、タイが5,920店、マレーシアが2,200店。マレーシアは2年で16%増えた。一方、シンガポールは1,140店で、少し減っている。人口10万人あたりで見ると、シンガポールは約20店、マレーシアは約7店。マレーシアには、まだ伸びしろがある。シンガポールが減ったのは、単に店を置く場所が無いのかもしれない。国土は東京23区とほぼ同じ広さなので、無理もない。長く住んでいた身として、愛を込めて書いておく。

東南アジアの日本食レストラン数(人口10万人あたり)日本食レストランの多さ(人口10万人あたり、2025年)右は国全体の店舗数と、2023年からの増減シンガポール19.6店全国1,140店(−70)タイ8.5店全国5,920店(+590)マレーシア6.7店全国2,200店(+310)インドネシア2.4店全国6,580店(+2,580)出所:農林水産省(2025年11月)、アセンティア・ホールディングスの集計
東南アジアの日本食レストランの多さ(人口10万人あたり)。シンガポールが群を抜き、マレーシアは2年で16%増えた。

その人気は、帰りの車で思い知った。次の約束の場所まで、ドライバーに来てもらった。乗り込むなり、「OMAKASE に行ったのか! 羨ましい! いくらだった? おいしかった?」と、質問攻めにされた。店の名前も、相場も、私よりよく知っている。日本人の私より、明らかに詳しい。おまかせは、もうマレーシアの言葉なのだ。

皮目に包丁を入れた光り物の握り。シャリは赤酢
光り物の握り。皮目の包丁と、赤酢のシャリ。

黄色い皿と、何が違うのか

先日食べた、1皿1.80リンギットの回転寿司と比べてみる。

値段
回転寿司は1皿1.80〜3.70リンギット。おまかせは、ランチで238リンギットから。この日は400リンギットを超えた。
頼み方
回転寿司は、レーンとタッチパネルから自分で選ぶ。おまかせは、職人に任せる。
速さ
回転寿司は、皿がどんどん流れてくる。おまかせは、一貫ずつ、職人の手の速さで出てくる。
ネタ
回転寿司は、炙りと明太マヨが主役。おまかせは、熟成や包丁の仕事が主役。明太マヨは、一度も出てこなかった。
海苔
回転寿司は、言われるまで存在に気づかなかった。おまかせは、口に入れる前から香る。

値段の幅を、グラフにしてみた。黄色い皿8枚から、高級おまかせまで、ざっと60倍。同じ「寿司」という名前で、これほど値段の幅が広い食べ物も珍しい。ちなみに、私の寿司の知識の幅は、たぶん2倍くらいしかない。

クアラルンプールの寿司の値段の分布寿司1食の値段(リンギット)目盛りは対数。回転寿司は8皿で計算(スシローは税別)Sushi Mentai黄色い皿8枚約RM17スシロー一番安い皿8枚RM46〜おまかせ入門Sou などRM118〜Iki OmakaseランチRM238〜この日のおまかせIki OmakaseRM400超高級おまかせSuru などRM988〜出所:各社発表、報道、筆者の訪問時の値段
クアラルンプール周辺の、寿司1食の値段の目安。安い回転寿司から高級おまかせまで、60倍の幅がある。

チェーンの店の数で見ると、勢力図はもっとはっきりする。マレーシアの日本食レストランは約2,200店。そのうち主な寿司チェーンだけで223店、ざっと1割を占める。そして、その寿司チェーンを経営母体の国籍で分けると、98%がマレーシアの資本だ。日本の資本は、スシローの3店だけ。Sushi King は日本人の起業家が1995年に始めた店だが、いまはマレーシアの上場企業 Texchem の子会社である。Sushi Zanmai に至っては、築地の「すしざんまい」とは何の関係も無い。マレーシアの寿司は、マレーシアの会社が握っている。下の段は地元のチェーンが固め、上の段では日本人や日本で修行した職人のおまかせが競う。真ん中は、まだ空いている。

マレーシアの寿司チェーン:シェアと資本マレーシアの寿司チェーン:シェアと資本店舗数ベース。売上のシェアではない① 日本食レストラン約2,200店のうち寿司チェーン 223店(約10%)その他の日本食 約1,980店② 寿司チェーン223店のブランド別Sushi King 130Mentai 52Zanmai 36右端:Sakae 2、スシロー 3③ 同じ223店を、資本の国籍で分けるとマレーシア資本 218店(98%)シンガポール資本 2店(1%)、日本資本 3店(1%)出所:農林水産省(2025年)、各社発表、報道(2023〜2026年)
マレーシアの寿司チェーンのシェアと資本。日本の資本で回っているのは、スシローの3店だけ。

海苔の差には、理由があった。この店の海苔は、隣に座っていた社長の会社が納めているのだ。本人の前で海苔を褒めるのは少し照れくさいが、パリッとした食感と、口に入れる前から立つ香りは、褒めるしかない。隣で本人が見ているので、褒め言葉が多少割増になっている可能性は、否定しない。同じ「海苔」という名前で、ここまで違うものかと思う。

白身の握りを海苔で挟み、橙色の薬味をのせた一貫
白身を、海苔で挟む。海苔の香りが、ちゃんと仕事をしている。
海苔に包んだウニとマグロの手巻き
ウニとマグロを、海苔で包んで。写真がぶれているのは、手の震えではなく、喜びである。

正直に書くと、何を食べたか、よく覚えていない。覚えているのは、ウニ、白子、貝、なめこ。私の苦手なもののオンパレードだったことだ。ところが、全部おいしかった。自分でも驚いた。おまかせとは、苦手なものまで任せることだったのだ。そして任せた結果、苦手が苦手でなくなった。

大将は、日本人ではない。それでも、明らかに長い修行を積んでいる、と、日本でおまかせの店を経営するパパ友が言っていた。プロがプロを見る目は、私が寿司を見る目より、ずっと確かだ。私に分かるのは、皿が回っていないことくらいである。

そもそも海外の日本食レストランでは、料理人の9割が日本人以外だという。考えてみれば、これは理にかなっている。私は日本に帰ると、ときどき日本語が出てこない。そんなとき、英語や中国語ができる店員さんが増えていて、地味に助かっている。クアラルンプールの高級寿司も、同じことだ。カウンターでは、一緒に来た友人よりも、板前と話す時間のほうが長い。だとすれば、中国語も英語もマレー語もできる職人が、日本で修行して握ってくれるほうが、ここの客にはありがたい。日本人ではない板前が、クアラルンプールの高級寿司に向いている。少し皮肉だが、おまかせとは、会話まで任せることなのだ。

商売の目で見ると

せっかくなので、日本でおまかせの店を経営するパパ友に、おまかせの良さを聞いてみた。返ってきたのは、料理の言葉ではなく、商売の言葉だった。職業柄、ここから学べることを四つ挙げておく。

一つ目は、海外に出しやすいことだ。メニューが一つなら、店は小さくていい。カウンターと職人が居れば、どの国でも同じ形で開ける。日本国内でも、言葉の要らないおまかせは、訪日客に向いているという。

二つ目は、職人が早く育つことだ。握る順番が決まっていれば、覚えることも決まる。何十種類のお好みに備えるより、一つの流れを磨くほうが早い。

三つ目は、安くてうまい食材が使えることだ。客が注文しないので、店はその日、市場で一番お得で、一番うまい魚を選べる。客に選ばせないことが、仕入れを強くする。任せているのは客の側のようで、実は仕入れのほうが自由になっている。

四つ目は、競争が激しくなっていることだ。これは、ニューヨークの数字が先に教えてくれている。おまかせの店は増え、値段は下がり、半分は消えた。クアラルンプールも、同じ道を歩き始めているように見える。

もう一つだけ、私の見立てを足しておく。日本の食材の会社にとって、おまかせのカウンターは、いちばん目の肥えた客の前に自社の品を並べられる場所でもある。海苔一枚が、ブランドの見本市になるのだ。

お任せの報酬

007『慰めの報酬』をもじれば、お任せの報酬。任せた報酬は、たしかにあった。黄色い皿を食べたあとだと、それがよく分かる。

花と苺とブルーベリーを添えた、ベリー色のムースのデザート
デザートまで、任せきり。

家に帰って子どもたちに話すと、クアラルンプールのスシローに行きたいと言う。ありがたい話だ。ただ、スシローの皿は一番安くても5.80リンギット。黄色い皿の3倍以上である。私にとっては、それでも十分に散財だ。

ただ、子どもたちに連れて行かれるのは、たぶん、これからも回転寿司だ。そして私は、喜んでついていく。正直に言えば、回転寿司で赤身と卵と海老フライの握りを食べるのも、大好きなのだ。黄色い皿を、何枚か積みながら。

参照した資料

  1. TikTok(hungry_potatoomy)、eCentral「Halal Omakase di Kuala Lumpur」、Tripzilla「Best Omakase in KL」(Iki Omakase の価格と店の概要). tripzilla.my
  2. Menufyy「Iki Omakase」(Google の評価と口コミ数). menufyy.com
  3. Sushi-pedia「Omakase: Meaning, Use and Context」(おまかせの歴史). sushi-pedia.com
  4. Britannica「Omakase」. britannica.com
  5. Modern MBA「Why omakase is suddenly everywhere」(ニューヨークの価格と閉店率). modern-mba.com
  6. FOOD & LIFE COMPANIES「SUSHIRO Suria KLCC」(2025年2月、マレーシアのスシローの皿の値段). food-and-life.co.jp
  7. 農林水産省「海外における日本食レストランの概数(推移)」、「日本食の魅力と今後の展開方向」(2025年7月). maff.go.jp
  8. nippon.com「海外の日本食レストラン、大幅増の8万9000店に」(好きな日本料理の調査、日本人以外の料理人の割合). nippon.com
  9. 農林水産省「海外における日本食レストランの国・地域別概数」(2025年11月)、アセンティア・ホールディングス「詳報:海外における日本食レストラン」. assentia-hd.com
  10. Flow the Room「8 Best Omakase in Kuala Lumpur」(クアラルンプールのおまかせの価格帯). flowtheroom.com
  11. Grokipedia「Omakase」(Masa と映画『二郎は鮨の夢を見る』). grokipedia.com

円換算は、2026年10月19日の相場(1リンギット=約38.8円)による。

本稿は公開情報をもとにした筆者の見解であり、記載企業の公式見解ではありません。