マレーシアより愛をこめて 第8回
ガスパールは二度入国する
マレーシアの中に、
国境がある
東と西、パスポートと石油と王様とラクサ
マレーシアの国内線で降りたら、入国審査の列に並ばされた。同じ国である。パスポートを出した瞬間、旅の気分が、お役所の気分に変わる。何故なのか。調べてみたら、石油と王様とラクサまで出てきた。
まず、地図を見て欲しい
マレーシアは、二つに割れた国だ。マレー半島の西マレーシアと、ボルネオ島の東マレーシア。間には南シナ海が横たわり、クアラルンプールからコタキナバルまでは、東京から那覇くらい離れている。ちなみに東京から那覇に行くのにパスポートは要らないが、もし要ったら、那覇空港は乗り継ぎの人で大混乱になる。
面積は、国土の約6割が東だ。人口は、東が2割に満たない。広くて、人が少ない。首都も、大きな会社も、だいたい西に居る。東は、広さで勝って、人口で負けている。
さて、この地図をよく見て欲しい。東マレーシアのすぐ下に、もう一つ、大きな国がくっついている。
ボルネオ島の南半分は、インドネシア
ボルネオ島は、島ごとマレーシアだと思っていた人が、案外多いはずだ。実際は、島の約73%がインドネシア領で、マレーシアは約26%、ブルネイは約1%。島の名前の元になったブルネイが1%というのも切ないが、貸し賃は石油とガスで回収済みらしい。
そのインドネシアとの国境が、1,881キロある。インドネシアの陸の国境の、6割強がここだ。
ジャングルの中の1,881キロに、公式の検問所は、サラワク側に数か所しか無いという。残りの区間では、ジャングルが、無給で検問官を務めている。
パスポートが要る理由
さて、本題のパスポートだ。理由は、1963年の、結婚前の契約書にある。マレーシアは、この年、半島とボルネオが一緒になって出来た国で、その時、ボルネオ側は、出入国の管理は、うちで持つ、と条件を付けた。結婚前の契約書は、結婚した後に、何度も読み返されるものと相場が決まっている。
そういうわけで、東に入るときは、西マレーシアの国民でも入国手続きがあり、外国人はパスポートが要る。だから私は、国内線で降りて、入国審査の列に並ぶ。ちなみに、1963年に一緒に生まれたシンガポールは、2年後に独立していった。早すぎる退社である。
石油と王様、ひとこと
東と西は、石油とガスでもつながっている。サラワクは、国内のガス埋蔵量の約6割を持つ。ところが、産出する州に払われる石油のロイヤルティは、5%。サラワクは、20%を求めている。取り分は5%、不満は満額である。ビントゥルの LNG 基地は、まさにこの話の中心にある。
この綱引きの相手が、国営のペトロナスと、サラワク州営のペトロス。名前が似ていて、校正者泣かせである。2026年10月の時点で、決着を伝える報道は、私には見つけられなかった。
もう一つ。王様は、西にしか居ない。国王は、9つの州のスルタンの中から、5年ごとに輪番で選ばれる。その9州は、全部西だ。東のサバとサラワクには、王様の代わりに、国王が任命する州の元首が置かれている。肩書きが長くて、名刺のデザインに苦労しそうだ。
東の歴史には、実は、別の王様も登場する。「白人の王」である。この話は、近いうちに。
ラクサも、別の国
ここまでの話は、全部前菜だった。メインは、ラクサである。
マレーシアのラクサは、ざっくり言えば、酸っぱいか、カレーか、の二択だ。ペナンは酸っぱい。クアラルンプールやシンガポールは、カレーである。ラクサ三兄弟で言えば、酸っぱい長男と、濃厚な次男が、半島に居る。ところが、海を渡ったボルネオに、三男が居る。
- ペナンのアッサムラクサ
- 鯖のスープに、タマリンドの酸味。太い米麺。パイナップルやミントなどの薬味。酸っぱ辛い。
- カレーラクサ
- ココナッツミルクのカレースープ。油揚げ(タウポ)、貝、エビなどをのせる。濃厚。
- サラワクラクサ
- サンバル・ブラチャン(エビペースト)、タマリンド、ココナッツミルクのスープ。鶏とエビの出汁。細い米麺に、薄焼き卵、もやし、鶏、エビ。カレーは使わない。
三男の名は、サラワクラクサ。スープの土台は、サンバル・ブラチャンと、タマリンドと、ココナッツミルクだ。サンバル・ブラチャンは、エビの発酵ペーストと唐辛子を合わせた、辛くて香りの強い調味料である。そこに、鶏とエビの出汁が重なる。
麺は、細い米麺。具は、薄焼き卵の細切り、もやし、裂いた鶏肉、プリプリのエビ。仕上げにパクチーがのる。そして別添えで、小さなライムと、サンバルが付いてくる。ライムを絞って、サンバルを足して、自分の好みの味に仕上げていく。つまり、ラクサを完成させるのは、食べる側だ。食べる前に、まずライム。順番を間違えても、ラクサ警察は来ない(と思う)。
さて、味である。カレーは使わない、そうだ。西の人が初めて食べると、「これはカレーではないのか」と驚くらしい。故アンソニー・ボーデインが「神々の朝食」と呼んだことでも知られる。
正直に白状する。私は、一口目で、カレーだと思った。ガランガルやレモングラス、胡椒、レシピによってはクミンやスターアニスまで、たくさんの種類のスパイスが重なった香りを、日本人の舌は、自動的に「カレー」と判定するのだ。地元の人は「カレーではない」と言い張る。カレーではないという誇りと、カレーにしか思えない舌。この溝は、東西マレーシアの溝より、深いかもしれない。
ちなみに、この一杯は、ビントゥルのスプリングモール(The Spring Bintulu)の2階にある、フードコートで食べた。ラクサを売っている店は、フードコートに1軒だけ。選択肢が1つなので、迷う時間は、ゼロである。
頼んだのは、デラックス・サラワクラクサ。エビがたっぷり入って、16リンギット(約620円)。地元では、結構な高級品だ。通常のラクサは、10リンギット(約390円)である。写真のエビは3尾で、差額は6リンギットなので、エビ1尾あたり2リンギットの計算になる。乱暴な計算だが、エビの前では、誰も文句を言わない。
同じ国の、同じ名前の料理が、ここまで別物。パスポートの理由を、胃袋が教えてくれているのかもしれない。ちなみに、どのラクサが一番おいしいかを聞くと、聞かれた人の出身地が分かる。マレーシア人は、ラクサの話になると、国境の話より熱くなる。
サラワクは、ラクサだけの国ではない。麺の国でもある。こちらは、コロミー(Kolo Mee)。汁のない麺である。ラードであえた卵麺に、挽き肉とワンタンがのり、横には唐辛子の漬物が付く。コロという名前は、広東語の「乾いてあえた麺」に由来するとされる。コロミーが絶品の店は、ミリの Grandpa Homemade Noodle だ。
麺の写真ばかりで恐縮だが、私は麺フリークである。サラワクに来ると、胃袋がいくつあっても足りない。もう一杯だけ、エビクイテオ。あんが美しすぎて、肝心の麺を確かめるのを忘れた。
おまけ:お米の謎
友人が、お米の袋を持ってきてくれた。日本語で「お弁当」「ジャポニカ米」と、堂々と書いてある。
これを作っているのは誰か。調べたら、ブランドの「HAPPY」は、クチンの精米会社、リャンホアセンだった。サラワク最大の精米工場を持ち、仕入れ先の主力は、マレーシアの米の大手ベルナスだという。袋詰めをしている人は、分かった。
だが、肝心の、どこの田んぼで育ったのかは、調べたが、分からなかった。等級は「Super Import」、つまり輸入米だそうだ。どこからの輸入か、袋に聞いても、笑顔の米粒は、両手を広げて、黙っている。「器は日本、中身は現地」とはよく言うが、このお米は、パッケージは日本語、素性は謎である。ご存じの方は、教えて欲しい。
同じ時計、違う夕日
もう一つだけ。マレーシアは、全国で同じ時計を使っている。ところが、太陽は、そんな約束を守ってくれない。ミリはクアラルンプールより、経度で約12度東にある。同じ時計でも、日没は約50分早い。国は一つ、時計も一つ。太陽は、二つある。
同じサラワクの中でも、空は違う。クチンは、ミリより約15分、日没が遅い。ミリからクチンまでは、直線で約500キロ。東京から大阪より遠い。
私が、サラワクを好きな理由
ちなみに、今日も私はビントゥルにいる。マレーシアに住む日本人でも、東マレーシアまで来たことがある人は、驚くほど少ない。国内なのに、入国審査があるのだから、無理もない。
それでも私は、このサラワクが大好きだ。理由は単純で、ラクサがおいしいからである。真面目な話は、前菜で出し切った。
東と西。同じ国で、同じ時計を使いながら、夕日は50分ずれ、ラクサは別物で、王様の数え方まで違い、おまけに入国審査まである。それでも、一つの国として、ちゃんと回っている。1963年の約束の、60年以上の成績表かもしれない。白人の王の話は、近いうちに。「次回」と書かないのは、予告を寝かせる、このコラムの伝統のためである。