マレーシアより愛をこめて 第17回
2026年ガスパールの旅
お弁当箱ほどの530万円のMacは、
高いのか
経営者の目で見ると、分身は安い
10月28日、Appleが新しいMacを発表した。512GBのメモリを積んだMac Studioは、最大構成で532万3,800円。有機ELのMacBook Proも、フル装備で約258万円だ。アメリカでは「新車のトヨタ・カムリが買える」という声まで上がった。高い。だが、経営者の目で見ると、話は少し違ってくる。
先に断っておくと、Mac StudioもMacBook Proも、本来はクリエイターの道具でもある。DaVinci Resolveで8K映像を仕上げ、Pro Toolsでトラックを重ね、Lightroom Classic(名前は「クラシック」だが、れっきとした現役)で何千枚も現像する人には、また別の理屈がある。私も写真家の端くれなので両方の目で見ているが、この回は経営者の目に絞る。写真家ガスパールの言い分は、また別の回で。
パソコンの「パーソナル」が変わった
1940年代から60年代、コンピューターは国や大学や大企業のものだった。ENIACは、プログラムを変えるたびに配線をつなぎ替えた。アプリを入れ替えるたびに、家の電気工事を頼むようなものだ。
1975年、シリコンバレーのガレージに、ホームブリュー・コンピューター・クラブの面々が集まり始める。地ビールを仕込むように部品を持ち寄り、自分のコンピューターを組む人たちだ。会員のウォズニアックが組んだ基板は、アップルの最初の製品として666ドル66セントで売り出された。悪魔の数字だが、530万円よりはずっと良心的である。
やがてクラウドの時代が来て、頭脳は遠くのデータセンターへ引っ越し、手元のパソコンは窓口になった。
そして今、頭脳がもう一度、机の上に戻ってきた。子どものお弁当箱ほどの、一辺20センチほどの箱だ。その中のAIは、メールに返信案を書き、予定を組み替え、請求書を仕分け、ほかのAIと仕事を分担する。窓口ではない。部下を持った同僚だ。しかも相談の中身は、机の上から出ない。
変わったのは、値段の比べ相手だ。昔はほかのパソコンと比べた。今、530万円のMac Studioの比べ相手は、人の給料である。
ついでに重さでも比べてみる。14インチのMacBook Proをフル装備にすると、約1.3キロで250万円ほど。1グラム約1,900円だ。金は今、1グラム2万円を超えている。貴金属として見れば、なかなかのお買い得である。
会社のボトルネックは、たいてい社長
経営者が本当に欲しいのは、もう一人の自分だ。28年ほど会社を経営してきて身にしみたのは、会社のボトルネックは、たいてい経営者だということ。頭の容量と判断の速さと体力が詰まると、会社全体が詰まる。振り返れば、詰まっていたのは、たいてい私だった。
だとすれば、一番効く投資は、経営者の頭を増やすことだ。530万円は、その栓抜き代である。
人を雇うより、安い?
優秀な右腕を雇えば、給料に社会保険や席代が乗り、引き留めにも手間がかかる。530万円のMac Studioを5年使えば、月9万円弱。休まず、転職せず、伝えたことは記録に残る。人を減らす話ではない。人にしかできない仕事に、人の時間を回す話だ。
これでもFinal Cut ProもLogic Proも付けず(本物のプロは、どのみち使わない)、AppleCare+にも入らない、いちばん質素なフル装備だ。24回払いなら月22万1,825円。秘書を一人雇うより、たぶん安い。正直、手に入れたいところだ。
分身の、ほかの取り柄
分身は寝ないので、時差がない。日本とマレーシアと、世界を飛び回る仲間とのあいだで、仕事が夜通しつながる。時差ぼけするのは、人間だけだ。人が辞めれば知恵も出ていくが、分身は辞めない。日本語、英語、中国語、マレー語の書類も、その場で読み書きする。
手元で動くAIは、外の事情にも振り回されにくい。トークン代は下がり(ゼロにはならないが)、クラウドの値上げや規約の変更にも左右されにくい。4台つなげば、分身は4人に増える。芥川龍之介は、自分のドッペルゲンガーを見たと語ったと伝えられる。4人の自分との会議は、ほどほどにしておきたい。
一人で回す会社
実際、ほぼ一人で会社を回す経営者が現れている。Base44のマオール・シュロモ氏は、一人で作ったサービスを、6か月でWixに8,000万ドルで売った。オンライン診療のMedviは、従業員1〜2人で売上4億ドルを超えたと報じられている。
実は、私の会社もこれに近い。正社員は0人。机の上では、M5 MaxのMacBook ProとM3 UltraのMac Studioが働いている。どちらも全部盛りだ。仕事柄、と言い訳はするが、機械に関しては昔から我慢が利かない。外では13インチのMacBook Airを、机の上の分身に話しかける窓口にしている。昔とは、立場がきれいに逆転した。
人間の仲間もいる。中国語や英語を流暢に話すパワフルな女性たちが、世界を飛び回りながら、リモートで手伝ってくれる。分身が作業し、仲間が人と会い、私が決める。正直に言えば、会社を回しているのは、たぶん彼女たちのほうだ。530万円のMacは、つまり分身の後輩である。
それでも、弱点はある
まず、視野。自分そっくりの分身は、自分と同じところで見落とす。そしてガバナンス。経営者が裸の王様になっても、分身は「裸だ」とは言わない。船頭多くして船山に上る、という。船頭が一人なら、船は山には上らない。そのかわり、座礁しても誰も教えてくれない。
経営者が倒れれば、分身も止まる。陳腐化も速い。M5 MaxのMacBook Proが出た7か月後に、有機ELの新型が出た。ゆく河の流れは絶えずして、しかも、もとの型番にあらず。
人も育たない。そして、会社を売りにくくなる。経営者と分身でしか回らない会社は、買う側から見れば、中身が経営者の頭そのものだ。一子相伝の秘伝のたれは、店ごとでなければ売れない。
弱点も、埋まりつつある
視野には、作った会社の違う複数のAIに議論させる手がある。社外取締役を何人も雇うようなもので、しかも会食を求めてこない。ガバナンスには、AIの権限を絞って記録を残し、お金や契約には必ず人間の承認を挟む。分身に、ハンコとsudoだけは渡さない。面の支えには、役割の違うAIのチーム。分身が、部署になる。それでも、最後に責任を取るのは人間だ。
商売の目で見ると
ここから学べることを三つ挙げておく。一つ目、道具の値段は比べる相手で決まる。二つ目、分身は自分の弱点まで写すので、違う視点を外から足す。三つ目、任せる作業と手放さない判断を、先に分けておく。この線を引いてから買えば、530万円は高くない。
2026年ガスパールの旅
映画『2001年宇宙の旅』では、宇宙船のAI、HALが人間の命令を拒む。ちなみに、HALの文字を一つずつ後ろにずらすと、IBMになる。作者は偶然だと言っている。
では、530万円のMac Studioの稟議を、ガバナンス担当のAIに回したらどうなるか。BGMに『ツァラトゥストラはかく語りき』を流し、経営者目線では安い、という理屈もきちんと添えて。返事は、たぶんこうだ。
"I’m sorry, Gaspard. I’m afraid I can’t do that."
ガバナンスは、ちゃんと機能している。分身にしては、なかなか優秀だ。